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2009年5月10日 - 2009年5月16日

2009年5月16日 (土)

《元WBC世界バンタム級11位.健文トーレス(元大鵬ジム)…タクシー強盗容疑で逮捕!》

《元WBC世界バンタム級11位.健文トーレス選手(元大鵬ジム所属)強盗容疑で逮捕!》《元WBC世界バンタム級11位.健文トーレス選手(元大鵬ジム所属)強盗容疑で逮捕!》《元WBC世界バンタム級11位.健文トーレス選手(元大鵬ジム所属)強盗容疑で逮捕!》《元WBC世界バンタム級11位.健文トーレス選手(元大鵬ジム所属)強盗容疑で逮捕!》《元WBC世界バンタム級11位.健文トーレス選手(元大鵬ジム所属)強盗容疑で逮捕!》

★5月15日のスポーツ紙の社会面で「元プロボクサー・タクシー強盗で逮捕!」との見出し文面。約1/4を割(さ)いた、かなり大きい紙面である。元世界ランカー・プロボクサーの健文トーレス(元大鵬ジム)本名=トーマス・マルティネス健文(けんぶん)21才が3月17日午後9時40分頃、友人の(元プロボクサー.21才)と2人でタクシーに乗車し大阪市内で降りる際、運転手(50代女性)の腕をつかみ押さえ付け「金を出せ!」と脅迫して、女性運転手の上着ポケットから現金を奪おうとしたが、防犯ブザーを鳴らされた為、慌てて2人は何も取らずに逃走したと云うもの。その他、踏み倒した運賃料金は約6000円。警察捜査によって、約2カ月後の5月14日にタクシー車内の指紋が友人のものと一致したために、強盗容疑で2人とも逮捕された。…健文トーレス元選手は、父ヘルマン・トーレス(52歳)元WBC世界J・フライ級王者(メキシコ)〜父の影響で4才からボクシングを始める。父から英才教育を受けて頭角を現し、全日本実業団アマチュア選手権バンタム級で優勝してプロの道へと進んだ。父の母国メキシコでデビューしTKO負けしたが、日本での試合は順調に勝ち進んだ。〜'06年4月9日に当時WBC世界バンタム級15位のクマントーン・ポープラムック(タイ)に判定勝ちして、10戦目で金星を上げ世界ランカーとなった。しかし、その年の8月27日に日本バンタム級王座決定戦で三谷将之選手(高砂)に10回判定負けして王座獲得ならず。…日本ランクは'06年4月〜(5位が最高)'07年12月でランク外に。世界ランクは'06年4月〜(11位が最高)'08年4月までの28位でその後はランク外となっている。生涯戦績アマチュアは21戦20勝(19RSC)1敗。'03年には全日本実業団アマチュア選手権バンタム級で優勝した。プロ戦績は12戦10勝(8KO)2敗。〈亀田興毅選手とは幼なじみ!〉亀田選手とは大阪市内の同じ小学校で1年後輩になる。亀田兄弟とは同じ空手道場にも通っていた仲間だった。…今年4月19日には2年振りの再起戦が予定されていたが体調不良を理由に前触れもなく突然引退していた。まだ、21才で元世界ランカーとはいえ、何らかの仕事がなければ収入源がない筈だ。ましてや2年も試合から遠ざかっていた。ハッキリした引退理由も発表していない、ただ体調不良のみで事情が不明で分からず謎だらけである。〜余りにも短絡的に犯罪を侵してしまうこの2人の若者に考えが及ばない。言葉も出ない。スポーツマンとしての自覚の欠如でボクシング界を去ったとは言え、非常に腹立たしい事件で面汚しである。…父は現在(大鵬ジム)のトレーナー。現役時代の王座期間'88年12月11日〜'89年3月19日と短命王者だったが81戦64勝(48KO)13敗4分と軽量級にしてはKO率が75%と高くメキシコではニックネームが「石の拳!倒し屋トーレス!」として人気があった。日本人選手との対戦も8度ありボクシング通には日本人キラーとしてよく知られた存在だったのだ。そして、世界王者の錚々たる顔ぶれとグローブを交えている。元WBAとWBC(第7代・10代)の両団体王者になったイラリオ・サパタ(パナマ)の名王者との試合15回判定負け。日本の渡嘉敷勝男選手(協栄)と4度対戦した、WBA世界J・フライ級(第7代)王者ルペ・マデラ(メキシコ)との試合12回判定負け。WBC世界J・フライ級王者(その後、王座15度防衛で韓国の英雄!)張正九との試合12回判定負け。ことごとく、もう一歩のところで王座に届かなかった。しかし、'88年12月11日、当時空位だったWBC世界J・フライ級王座決定戦に姜順中(韓国)と激闘のすえ12回判定勝ち。世界戦5度目にして王座初獲得。しかし、'89年3月19日初防衛戦の李烈雨(韓国)戦に9回TKO負けして王座を陥落した。日本人選手との試合は7勝1敗と強く日本人キラーと言われた。その日本人との試合の1敗が最後の試合となった。'94年6月10日、大場貴志選手(木村)に10回判定負けして引退、その後日本でトレーナーとなる。今、この父ヘルマン・トーレス氏は息子に対してどう云う思いなのだろうか?聞く術(すべ)もないが!

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2009年5月10日 (日)

《プロボクシング世界認定団体の乱立!》

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★世界プロボクシング認定団体がこれ以上増えればどうなるのか?ジム経営者や選手達にとっては選択肢が広がっていいと思うのだが?しかし、日本の加盟は、あくまでも世界認定の(WBA)と(WBC)それに、アジア地区認定の(OPBF)3団体のみである。他の団体に加盟しない理由はただ一つ。何人もの王者が誕生して権威が失墜する恐れがありJBC(ジャパン・ボクシング・コミッション)としては統制を損ねて混乱を招きかねないと云うことが増やさない理由である。以前、日本が加盟していない(IBF)で試合をしたジム側とJBCとの間で大騒動になったことがある。…世界認定の団体が増えた原因は1960年代、初頭(旧)NBA=ナショナル・ボクシング・アソシエーション(米国ボクシング協会)の幹部による拡大賛成派と反対派の対立争いが発端である。当時、NBAは米国17州からなる団体であった。そこで、もっと世界的に拡大しようと1962年WBA(世界ボクシング協会)と改称して世界各国から加盟(日本も加盟)を募り拡大していった。団体(WBA)代表には世界各国加盟の代表者から選挙投票によって各理事や幹部が決められた。しかし、発起国の米国代表側の権限があまりにも強く代表選出や幹部選出にあたって、反発が多くなり不信感をつのらせて、各国代表の反乱がおきてしまった。混乱の中、一部の幹部者が決別分裂して新団体を興し(のちのWBC)これが乱立の要因となっていった。…現在の団体は本流本元の【★WBA・1962年設立=ワールド・ボクシング・アソシエーション(世界ボクシング協会)】を筆頭に、第二の勢力が最初に(WBA)から脱退乖離(かいり)し元幹部らによって団体を興した【★WBC・1963年設立=ワールド・ボクシング・カウンスィル(世界ボクシング評議会)】この後、次々と団体が設立された。…【★IBF・1983年設立=インターナショナル・ボクシング・フェデレーション(国際ボクシング連盟)】【★WBO・1988年設立=ワールド・ボクシング・オーガニゼーション(世界ボクシング機構)】現在この4団体が、世界の主流を分け合い競い合う形である。これに、世界ランキング掲載月刊誌の世界的権威=「リング誌」の後押しで発足した【★IBO・1990年設立=インターナショナル・ボクシング・オーガニゼーション(国際ボクシング機構)】が加わった。その他に、一旦崩壊して2003年再設立された【★WBF(ワールド・ボクシング・フェデレーション=世界ボクシング連盟)】と云う団体があるが、ランキング等を勝手に掲載するなど悪評高く認定団体としては全く評価されていない。…世界認定各団体のトップや発足人は殆どと云っていいほどWBA(本流)から出た人物である。…またアジアには【0PBF=WBC傘下】【PABA=WBA傘下】【ABCO=WBA傘下】の3団体がある。…日本のプロボクシング界にも団体が二つある。プロボクシングを統括するJBC(ジャパン・ボクシング・コミッション=試合の審判やルールの権限。ライセンス発行や選手の出場資格決定権を持つ。)〜その他に、日本プロボクシング協会JPBA(ジャパン・プロフェショナル・ボクシング・アソシエーション)がある。尚、日本のジムは、これに加盟しなければプロボクシングの興行は開催出来ない。未加盟ジムでは当然選手もプロとして出場出来ない。…確かに、こうも世界認定団体が増えると、ボクシングファンとしては、どの団体の、どの王者が権威あるのか?首を傾(かし)げたくなるのも事実であり、考えさせられるようである。〔ロゴマーク写真・Boxing Worldより〕

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