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2009年6月28日 - 2009年7月4日

2009年7月 4日 (土)

…☆OPBF東洋太平洋S・ミドル級王者・清田祐三選手激励壮行会!☆…

…清田祐三選手激励壮行会……清田祐三選手激励壮行会……清田祐三選手激励壮行会……清田祐三選手激励壮行会……清田祐三選手激励壮行会……清田祐三選手激励壮行会…

…《激励壮行会出席日記!》…☆OPBF東洋太平洋S・ミドル級王者・清田祐三選手の2度目の防衛を祝って激励壮行会が6月23日(火)に新宿のワシントンホテルで催された。ボクシング関係者のほか政治家、芸能界、大相撲親方衆、格闘家、スポーツ評論家、と各著名人の多方面からの来賓、列席者で宴会場内は埋まった。フラッシュ赤羽ジムの(会長)川島勝氏の挨拶から始まり後援者に続いていく。…そして、主役の清田選手が、今後の意気込みと決意を語り拍手喝采を浴びる。それに続きランキングボクサーやトレーナースタッフがステージ上で一人々紹介されていった。一旦、乾杯の音頭が入って、そのままスピーチは各方面の出席者に続いていく。…特に政治家の先生方のスピーチは解散総選挙が刻々と近づきつつあり、政治の話しが出るかと思いきや、政治の話しはほんの触り程度だった。場所柄、話してはいけない決まり事があり規制もあると思うのだが、祝い事と言うその場を弁(わきま)えていらっしゃる先生方であった。自民党から小池百合子議員(元防衛大臣・元環境大臣)〜石波茂農水大臣。公明党から太田昭宏代表。新党大地から鈴木宗男党首等と錚々たる顔ぶれが来席した。各議員の諸先生方がマイクの前に立つと拍手喝采となった。太田代表の話しも石波大臣の話しも飲むのを止めて聞き入ってしまった。やはり話しに引き込ませる術(すべ)を持っている人達だと感心した。また、特に鈴木議員の話しは清田選手と同郷の意味合いで、他の議員を持ち上げて、面白おかしくスピーチして盛り上げてくれた。小池議員は都議選の応援活動が忙しいらしく、ちょっとしたスピーチで退席された。それにしても、よくぞこれだけの大物議員が来てくれたものだと感心しきり。そして、元世界チャンピオンのスピーチも具志堅用高氏、渡嘉敷勝男氏、輪島功一氏と続き、その後は歌ありコントありと宴会は盛大に盛り上がった。6時半に始まった「宴」はあっという間に時間が経ち9時過ぎに幕となった。

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2009年7月 3日 (金)

…《ニカラグアの英雄で「貴公子」と呼ばれた男!アレクシス・アルゲリョ氏〜自殺!》…

…〈三階級制覇のニカラグアの英雄〉アレクシス・アルゲリョ氏〜自殺!……〈三階級制覇のニカラグアの英雄〉アレクシス・アルゲリョ氏〜自殺!……〈三階級制覇のニカラグアの英雄〉アレクシス・アルゲリョ氏〜自殺!……〈三階級制覇のニカラグアの英雄〉アレクシス・アルゲリョ氏〜自殺!……〈三階級制覇のニカラグアの英雄〉アレクシス・アルゲリョ氏〜自殺!…☆7月2日の各スポーツ紙に「3階級制覇のボクシング元世界王者アレクシス・アルゲリョ氏〜短銃自殺!」の見出しにボクシング界のみならず他のスポーツ界やファンにも衝撃が走っただろう。アレクシス・アルゲリョ(57歳)はニカラグア史上初のボクシング世界王者であり「ニカラグアの英雄」と呼ばれた。'75年10月12日に来日して、当時の日本の切り札的存在のロイヤル小林と壮絶な試合を展開した。序盤小林が右フックでアルゲリョを攻めると今度はアルゲリョが5回右ボディーでダウンを奪う。小林が立ち上がると次には強烈な左ボディーで試合を決めた。…最近はボクシング指導に携わりつつ、昨年11月には政治家に転身してニカラグアの首都マグアナ市の市長選挙に立候補して見事に当選、市長となっていた。その時の模様は日本の一般新聞やスポーツ紙でも紹介され記事になっている。しかし、自殺の原因は、その市長選挙に不正投票疑惑が持ち上がりアルゲリョは悩んでいたとされているが、はっきりとした背景は分かっていない。…現役時代はボクサーに似合わず、その端正な容姿からボクシング界の「貴公子」として称えられ世界中で人気があった。今でこそ5階級や6階級制覇者がいるが、当時としては異例の階級制覇者だった。「WBA世界フェザー級④度防衛>その後返上」「WBC世界スーパーフェザー級⑧度防衛>その後返上」「WBC世界ライト級④度防衛>その後返上」と3階級を制して4階級目を目指した。そして、当時WBA世界スーパーライト級の無敗王者アーロン・プライヤー(米国)に4階級制覇を掛けて'82年と'83年に挑んだが、どちらもKO負けに終わって、4階級制覇はならなかった。しかしながら、負けても、なお挑む姿は称賛されて世界中に名を広めたのだった。今のパッキャオ(比)人気に似た存在である。…日本にもそれ以前に来日している。「WBA世界フェザー級タイトルマッチ」アルゲリョ3度目の対戦相手はロイヤル小林選手(国際)。'75年10月12日当時、日本で最も期待され「KO'仕掛人」と異名をとって人気があったロイヤル小林と対戦した。この試合1回〜3回まで左ジャブを繰り出しワンツーと華麗なフットワークでアルゲリョが圧倒する。4回は小林も負けじ魂で左フックで応戦したが、5回終盤にアルゲリョの右ボディブローで小林ダウン。立ち上がると今度は強烈な左のボディブローで畳み掛けて終了した。…来日した当時、口髭をはやし、スラリとした体つきで端正なマスクは俳優のようだった。インタビューではそつなくなんでもハキハキ応えて紳士的イメージ(それが後に貴公子と呼ばれたゆえん)である。しかし、服を脱ぐと筋肉質で引き締まった体形だった。来日する前の練習風景の映像が流れたが、その映像を見ると日本人が対戦しても、とても太刀打ち出来ないと感じさせられた。そんなアルゲリョは日本で対戦した後、ニカラグア国内は内戦状態に陥り共産主義国家となった。その為、米国へと移って主戦場として活躍した。…引退後は名選手として、今でもそのアウトボクシングの華麗な動きのスタイルは基本として、世界中で語り継がれていて、ボクサーやボクシングファンの憧れの的となっている。…7月14日には教え子だったWBA世界ミニマム級王者ローマン・ゴンザレスが高山勝成(真正)の挑戦を受ける矢先でもあった。もう見とどける事は出来ない。そんなボクシング史に遺る名選手のアレクシス・アルゲリョは自分で命を絶ってしまった。誠に哀しい限りである!生涯戦績90戦83勝(64KO)7敗と素晴らしい戦績を残した。…ここに謹んでご冥福をお祈りします!享年57歳…合掌

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2009年6月30日 (火)

…《番外編!夏が来〜れば思い出す〜!たこ八郎!》…

…《番外編!》夏が来〜れば思い出す〜!たこ八郎!……《番外編!》夏が来〜れば思い出す〜!たこ八郎!……《番外編!》夏が来〜れば思い出す〜!たこ八郎!…
…《番外編!》夏が来〜れば思い出す〜!たこ八郎!……《番外編!》夏が来〜れば思い出す〜!たこ八郎!……《番外編!》夏が来〜れば思い出す〜!たこ八郎!…
☆夏になると何故か思い出す。「たこ八郎」さん!7月24日が命日で25回忌になる。
「たッこで〜す!」とテレビのバラエティー番組に登場してくると、独特の風貌で何を言いだすのか楽しみだった。今でも何かの番組に出てきそうな気がする。
そして、懐かしい!映画などではヤクザやチンピラ役が多かった。しかし、独特な喋り方(東北訛りの入り混じった)はどこか憎めないものが滲み出ていて親近感さえ感じた。
特に、映画「幸福せの黄色いハンカチ」ではチンピラ役で武田鉄矢の扮する青年に絡んでいると、主演の高倉健が登場して来て絡むシーン(お〜う!何だテメェ〜ッ!こッこの野郎〜ッ!=たこ八郎)〜のセリフのシーンは迫真の演技だった。たかが田舎者のチンピラ役で僅か数分の出演とは言え、もの凄いインパクトがあった。今でも、そのシーンを思い出す。そんな、たこ八郎さんは元プロボクサーで第13代日本フライ級王者('62年12/28〜'64年4/2)だった。そして、引退すると同郷出身(宮城県)のコメディアンで俳優の由利徹に弟子入りして修業した。
しかし、人気絶頂期の'85年7月24日、神奈川県の真鶴海水浴場で泳いでいて心臓麻痺をおこして帰らぬ人となった。あの日は友人達が「たこ」が死んだと言って騒いでいたのを思い出す。
私はあの日、酒さえ飲んでいなければ、海なんか行ってなければと思っていたのだった。
「たこ」さんの誕生日は'40年11月23日生まれだから、生きていれば今年で69才になる。
もう、あれから24年も経った。
そして、たこさんの口癖が「迷惑かけてありがとう!」
なんとも、たこさんらしい!そんな、「たこ」さんの友人達(タモリ、<故>赤塚不二夫、山本晋也)等が建てた「たこ地蔵」が(法昌寺)台東区下谷2-10-6にある。…合掌

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