« 2009年7月26日 - 2009年8月1日 | トップページ | 2009年8月9日 - 2009年8月15日 »

2009年8月2日 - 2009年8月8日

2009年8月 8日 (土)

…今、ボクシングで面白い階級…

…今、一番熱い階級…  …今、一番熱い階級…  …今、一番熱い階級…  …今、一番熱い階級…  …今、一番熱い階級…  今、日本のプロボクシングで一番面白い階級は‘ズバリ'スーパーライト級と言えるだろう。王者は小野寺洋介山(オサム)。今年4月5日、王者・木村登勇(横浜光)への挑戦で14度目防衛を阻止して王座を奪取した。5年もの長期王座に君臨した木村選手は陥落後に引退を表明した。次に来る選手をみると6位あたりまで実力が拮抗しているように思える。先ずは8月10日に新王者・小野寺洋介山(オサム)対3位の和宇慶勇二(ワタナベ)との初防衛戦が控えている。この試合が終わってからが見ものだ。そのまま小野寺選手が王座を守るのか?あけ渡すのか?…そのほかの選手を挙げて見ると6人の選手の試合数は1人の25戦を除けば20戦前後の選手だ。<1位>の亀海喜寛(帝拳)に限ってはまだ12戦12勝(10KO)無敗と試合数は浅いが、負け知らずでKO率83%の強打の持ち主で人気も急上昇中。<2位>の長瀬慎弥(F・赤羽)は前王者・木村選手への挑戦(7回TKO負け)経験もあり負け数も3敗と少なく、常に上位をキープしている実力者。21戦16勝(9KO)3敗2分。<4位>の方波見吉隆 (伴流)は要所要所で勝って順位を上げて来た。20戦15勝(11KO)4敗1分KO率73%の強打者。<5位>の前川洋昭(帝拳)は14戦13勝((7KO)1敗と急上昇中の選手。<6位>はベテラン34才の塩谷智行(レパード玉熊)次の試合が26戦目の選手。7位〜12位の選手は1人の20戦を除けば20戦を満たない選手ばかり。王者が防衛にこだわり試合数の少ない下部の挑戦者を選べば別だが、王者として強く権威を示すのであれば7位以上からのマッチメークが予想されるだろう。これから、この階級〜戦国階級になる気配でますます面白くなってくる。

| | コメント (6)

2009年8月 7日 (金)

ネタ切れ休憩中!

夏休み中!
夏休み中!
夏休み中!夏休み中!只今ネタ切れ休憩中!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月 3日 (月)

《アーツロ・ガッティの死!》

《アーツロ・ガッティの死!》《アーツロ・ガッティの死!》《アーツロ・ガッティの死!》《アーツロ・ガッティの死!》

…亡くなったアーツロ・ガッティはイタリヤ系カナダ人である。幼少の頃、両親とイタリアからカナダへと移民した。
7月12日のスポーツ紙に「元2階級制覇アーツロ・ガッティ氏滞在先のブラジルで強盗に射殺される!」の記事はアルゲリョの自殺に続いて衝撃が走った。なんとも悲惨な死に方かと思っていたところに、妻逮捕の報道。
しかし、20日後に警察は自殺と断定して妻を釈放した。ところがガッティの遺族側は「自殺する動機は何もない!」と再捜査を依頼して二転三転している。本当に自殺だったのか?犯罪に巻き込まれたのか?いまだに真相がはっきりしない事件である。

〈アーツロ・ガッティの主な試合を振り返る!〉
…アーツロ・ガッティが最初に王者となったのは14年も前に遡る。'95年12月15日当時IBF世界S・フェザー級王者トレーシー・ハリス・パターソン(米国)に挑み12回(3-0)圧倒的な強さで判定勝ちして王座獲得。その後3度防衛して返上。
カナダでも試合をこなしていたが、有能なプロモーターの多いアメリカを主戦場にすることとなった。マイナー団体も含めて試合を消化していく。そして、徐々に名のある選手との死闘を繰り広げ、アメリカでも人気を得ていった。
この時期にはあのスーパースターのオスカー・デラホーヤとのノンタイトル10回戦も含まれている。この頃デラホーヤはフェリックス・トリニダード(プエルトリコ)にWBC・IBFウェルター級統一戦の試合に敗れて、シェーン・モズリーにも敗れ無冠になっての復帰試合であった。
'01年3月24日、試合結果はデラホーヤがガッティを圧倒しての5回TKO勝ち。完敗したガッティは試合後に敗因分析を問われてトレーナーに(スタイル変更)を指摘されたが、そのボクシングスタイルは頑として変えることはなかった。
ガッティのメジャー団体2階級目は'04年1月24日WBC世界S・ライト級王座決定戦。
ジャンルーカ・ブランコ(イタリア)との対戦は序盤ガッティ優位で中盤ブランコが盛り返す一進一退の展開だった。後半ガッティが10回にブランコからダウンを奪い、12回(3-0)の判定勝ちをして2階級目を制覇した。
ガッティの3度目防衛戦はあの不敗王者フロイド・メイウェザーJr.(米国)との対戦。メイウェザーはWBCライト級王座を返上して、3階級目への挑戦である。'05年6月25日WBC世界S・ライト級タイトルマッチは序盤からメイウェザーのアウトボクシングにガッティはてこずる。メイウェザーのワンツー強打にスタミナを奪われていき中盤に突入。そして、6回に入ってメイウェザーの左右連打でガッティは防戦一方になりストップされた。6回TKO勝ちしたメイウェザーは3階級目の制覇。

一方、ガッティは3度目の防衛に失敗。王座を陥落したガッティは'06年月22日、3階級目制覇を狙ってWBC世界ウェルター級に挑む。王者のカルロス・バルドミール(アルゼンチン)との対戦。
戦前予想はガッティ有利と見られていたが、いざ蓋を開けて見ると序盤からバルドミールの右ストレートがさえた。
3回にバルドミールの強烈な右クロスでガッティがグラつく。
6回バルドミールの出したパンチでガッティが右ひじを痛めて防戦一方になってしまう。
9回バルドミールの右カウンターでガッティがロープを背負ったところに左フックを打ち込まれてガッティのダウン。立ち上がったが左右連打を浴びて再びダウンしたところでレフェリーストップとなった。9回2分50秒カルロス・バルドミールのTKO勝ち。ガッティの3階級制覇はならず。

…'07年7月14日、1年振りの再起戦はウェルター級のノンタイトル戦。相手は世界戦経験者のアルフォンソ・ゴメス(メキシコ)。
…試合が開始されると序盤はそこそこの出だし。
3回あたりからガッティの動きが悪くなり顔面、ボディーと上下に打ち込まれ徐々にゴメスペースとなった。
4回ゴメスの右ストレートがヒットして圧倒的有利に。
7回ゴメスの左右連打でガッティが前のめりに崩れるようにダウン。レフェリーのカウント中にコミッショナーの人物が(試合ストップを叫び!)リングに乱入して異例の試合ストップとなった。
7回2分12秒でアルフォンソ・ゴメスのTKO勝ち。〜試合終了後にアーツロ・ガッティは引退を表明してこれが最後の試合となった。
〈後記〉
日本でアーツロ・ガッティが知られるようになったのは'01年3月のオスカー・デラホーヤ戦あたりからだった。その頃の名前がアルトゥーロ・ガッティだったりアルツーロだったことを覚えている。数試合の画像を観た限りでは上手さに長(た)けた選手ではなかった。
しかし、ダウンして明らかに負けている状況でもそれを逆転してKO決着することが多いことに魅力があった。イタリアン気質とでも云おうか、あまり精密機械のようなきれいなボクシングには見向きもしなかった。ただ豪快に倒す事だけを考えたプロ中のプロであった。あのデラホーヤに引けを取らない程に人気があったのもうなずける。ある日の勝利インタビューでは「お客さんは、わざわざ僕の倒すところを観に来るんだ!だから僕はKO'にこだわるのサ!」と応えている。試合運びがパッキャオに似ていると云うよりパッキャオが世に知られる以前のそのタイプである。アメリカでの通称はTha thunder(稲妻)と呼ばれて人気がありノンタイトル戦でも会場は埋まった。
〜倒れても倒れても倒し返したアーツロ・ガッティよ!〜安らかに!
…合掌
☆獲得王座
【IBA世界ライト級王座=マイナー団体】
【IBF世界S・フェザー級王座】
【WBC世界S・ライト級王座】
☆全戦績【49戦40勝(31KO)9敗】

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2009年7月26日 - 2009年8月1日 | トップページ | 2009年8月9日 - 2009年8月15日 »