« 2009年8月30日 - 2009年9月5日 | トップページ | 2009年9月20日 - 2009年9月26日 »

2009年9月13日 - 2009年9月19日

2009年9月17日 (木)

《☆伝説のボクサー!ロッキー・マルシアーノ》…其の3〜「世紀の大逆転!」

《☆伝説のボクサー!ロッキー・マルシアーノ》…其の3
《☆伝説のボクサー!ロッキー・マルシアーノ》…其の3
《☆伝説のボクサー!ロッキー・マルシアーノ》…其の3
《☆伝説のボクサー!ロッキー・マルシアーノ》…其の3
《☆伝説のボクサー!ロッキー・マルシアーノ》…其の3
《☆伝説のボクサー!ロッキー・マルシアーノ》…其の3
《☆伝説のボクサー!ロッキー・マルシアーノ》…其の3
☆ロッキー・マルシアーノはいよいよ世界初挑戦の時が迫って来ていた。世界挑戦決定戦と位置付けられた試合で国民的英雄ジョー・ルイスを衝撃的KOで下したマルシアーノはその後、4戦4勝4KO勝ちと次々と強敵を打ち倒して行った。

…挑戦する王者はNBA世界ヘビー級第11代王者ジャーシー・ジョー・ウォルコット38才。ジョー・ルイスとの対戦(判定負け)も経験している。…1951年7月18日、前王者のイザード・チャールズに大方の予想を覆し、7回KO勝ちして王座に就いた超遅咲きの王者である。それまで何度も挑戦するが、ことごとく退けられている苦労人であった。5度目の挑戦のこの時、既に37才6カ月の王座獲得に全米の称賛を浴びて、一躍人気者となった。その後、1952年6月5日のイザード・チャールズとのリターンマッチで判定勝ちして初防衛に成功した。『諦めない勇気ある名ボクサー』として現在でも語り種になっている。これは1994年、ジョージ・フォアマンがWBA・IBF2団体王者のマイケル・モーラーに10回KO勝ちして45才の最高齢王者になるまで43年間もの間、破られなかった記録である。


…1952年9月23日、遂にロッキー・マルシアーノの大一番がやって来た。試合会場のペンシルバニア州フィラデルフィア・スタジアムに40,379人もの大観衆が詰めかけた。老練王者ウォルコット38才。トップコンテンダーで無敗のマルシアーノ29才。予想も真っ二つに割れた。観衆の予想が乱れ飛ぶ〜「マルシアーノが直ぐに片付けるサ!」〜「いやいやウォルコットは簡単にゃ負けないサ!今までの試合に勝ってた試合も負けにされたんだ!ウォルコットの粘り勝ちサ!」


大観衆の歓声の中、試合開始のゴングが打ち鳴らされた。


…試合はマルシアーノがウィビングしながら左右に振って前へと押して、左右フックを振り回すいつものスタイルで始まった。
ウォルコットは見据えたようにワンツーを出しながら逆に反撃する。
序盤にも拘わらず壮絶な打ち合いが始まって間もなくウォルコットの左フックがマルシアーノの顎を打ち抜いた。
マルシアーノは崩れ落ちるように〜“ダウン”する。カウントを取られると、フラつきながらも立ち上がり、4カウントでファイティングポーズをとった。プロボクサーになって初めてのダウンである。
ダウンしてから動きが鈍くなってしまったが持ちこたえた。
ウォルコットはワンツー左右フックとマルシアーノを攻め続ける。
そんな展開が続き、6回にはマルシアーノが左目上瞼をカットする。
後半に入って、明らかにウォルコットがポイントをリードしている。
12回に入るとウォルコットの怒涛の連打でマルシアーノは倒れる寸前のフラフラな状態。圧倒的ウォルコットのリードは続く。
〜そして、魔のラウンドと言われる13回に突入して行く。


この回に入って一層激しい打ち合いになって行ったが、ウォルコットの優勢は変わらない。マルシアーノには、もう余力が残っていないかのように思われた。〜しかし?


…打ち合いの中、ウォルコットがロープの反動で前へ出ようとした途端、マルシアーノが狙いすましたように右フックを叩きこんだ。ウォルコットはこの一撃で前のめりに叩き付けられるように〜“ダウン”。
ウォルコットの伏した体はピクリとも動かない。誰の目にも立ち上がれないと思わせる倒れ方だった。そして、〜“カウントアウト”!観衆は呆気に取られるように目を疑い、騒然となり大歓声の渦となった。

…マルシアーノは衝撃的な13回(0分43秒)の大逆転KOで第12代NBA世界ヘビー級王座を獲得した。4万人もの大観衆はその「世紀の大逆転劇」に酔いしれた。しかし、観衆はウォルコットにも称賛を与えて止まなかった。そして、マルシアーノの右フックの一撃は『スージーQ』と名付けられたのだった。(※suzieとは女性を指すのだが誰のことを指して名付けられたか不明?)

〜両者は歴史的な試合を展開した後、リターンマッチが承認された。

【※ロッキー・マルシアーノの歴代順位はWBA(1962年発足)と統合した旧NBAのもの】


―――――其の4に続く!

【Rocky Marciano official website&BoxRec〜抜粋・参照】

| | コメント (2)

2009年9月13日 (日)

《☆伝説のボクサー!ロッキー・マルシアーノ》…其の2〜「王者への足掛かり!」

《伝説のボクサー!ロッキー・マルシアーノ》…其の2
《伝説のボクサー!ロッキー・マルシアーノ》…其の2
《伝説のボクサー!ロッキー・マルシアーノ》…其の2
《伝説のボクサー!ロッキー・マルシアーノ》…其の2
《伝説のボクサー!ロッキー・マルシアーノ》…其の2
《伝説のボクサー!ロッキー・マルシアーノ》…其の2
《伝説のボクサー!ロッキー・マルシアーノ》…其の2
☆1951年10月26日、ノンタイトル戦にもかかわらず超満員で埋まったマディソン・スクェア・ガーデンの会場(※当時は旧会場で観客数が1万8千人説と2万数千人説がある?)にロッキー・マルシアーノとジョー・ルイスが入場して来ると試合前から歓声で沸き返った。

マルシアーノの通称(ニックネーム)が『ブロックトンの高性能爆弾』ならルイスが『褐色の爆撃機』と呼ばれていた。マルシアーノの身長が180cmで体重が83kgに対してルイスは187cmで87kgである。ルイスにしても、当時のヘビー級であってもズバ抜けて大きい体格ではなかったが、マルシアーノと比較すると一回り大きく見えた。それだけマルシアーノは小さかったと云うことである。
〜戦績はマルシアーノ(28才)が37戦37勝(32KO)無敗で世界戦は経験なし。ルイス(37才)は71戦69勝(55KO)2敗でNBA世界ヘビー級王座25度防衛と輝かしい記録を打ち立てた国民的な英雄であり、黒人の誇りでもあった。ただ、1度は引退して復活はしたものの王座返り咲きを狙って当時の王者イザード・チャールズに挑戦するも15回判定負けに終わっている。その後、8連勝してこの日に挑むのだが関係者や巷の間では「もう以前のように体が動いていない!ましてや9才も違う年令差では酷だ!」と危惧も囁かれていた。

…待ちに待った試合が開始された。ゴングが鳴るとマルシアーノはウィビングをしながら懐に入って行くスタイルで左右フックを振り回すインファイト。ルイスは何処からでもかかってこいと云うスタイルで、ズッシリ構えながら動きに順応する。マルシアーノが体を反って左右に振りながら前へと押して来てもルイスは左ジャブと強烈な右ストレートで応戦。その動きは明らかにボクサーとファイターに区別出来る。前半は一進一退が続いた。

そして、回を重ねて行く。手数と重い左右フックのヒットでややマルシアーノが有利となる。ルイスも手数は少ないながらも左ジャブから右ストレートを打ち込む。そんな攻防が7回まで続いた。

8回に入るとマルシアーノの右フックがルイスの顎にヒットして動きが鈍った。中盤に再びマルシアーノの強烈なアッパー気味の左フックを浴びて、たまらずルイスが〜“ダウン”。カウントを受けながら立ち上がり、ファイティングポーズで再び挑むが体が思うように動かない。またもやマルシアーノの左右フック連打と強烈な右フックでロープに絡むようにリングコーナーの縁まで崩れ落ちた。もうルイスに立ち上がる余力も残っていなかった。レフェリーのカウントアウトでゴングが響き渡る。マルシアーノ8回2分26秒でのKO勝ち。心配してすぐに駆け寄った〜そして、リングの縁から落ちる寸前のルイスに2人3人と陣営が駆け上がりリング内に引き戻すが横たわったまま2、3分も動かない。最後のマルシアーノの右フックが英雄に止めを差す一撃となった。まさにこれが『ブロックトン・ブロックバスター=ブロックトンの高性能爆弾』と言われた所以(ゆえん)である。見事なKO勝ちを収めたマルシアーノは世界戦の挑戦権を手に入れたのだった。一方、ジョー・ルイスはこの試合でのダメージが元で病院送りとなり、その後、マルシアーノは尊敬してやまないルイスを見舞っている。〜退院するとルイスは寂しく引退を発表した。

マルシアーノはこれで38連勝して、いよいよ世界初挑戦へ向けて「足掛かり」をつくった。
そして、この日からマルシアーノの歴史が始まった。

―――――其の3へ続く

【Rocky Marciano official website&BoxRec〜抜粋・参照】

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2009年8月30日 - 2009年9月5日 | トップページ | 2009年9月20日 - 2009年9月26日 »