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2009年9月20日 - 2009年9月26日

2009年9月25日 (金)

《☆伝説のボクサー!ロッキー・マルシアーノ》…其の5〜「ヤンキースタジアムの熱戦譜」

《☆伝説のボクサー!ロッキー・マルシアーノ》…其の5
《☆伝説のボクサー!ロッキー・マルシアーノ》…其の5
《☆伝説のボクサー!ロッキー・マルシアーノ》…其の5
《☆伝説のボクサー!ロッキー・マルシアーノ》…其の5
《☆伝説のボクサー!ロッキー・マルシアーノ》…其の5
《☆伝説のボクサー!ロッキー・マルシアーノ》…其の5
《☆伝説のボクサー!ロッキー・マルシアーノ》…其の5
《☆伝説のボクサー!ロッキー・マルシアーノ》…其の5
《☆伝説のボクサー!ロッキー・マルシアーノ》…其の5
…ドン・クックルを9回にKOして5度目の防衛を果たしたマルシアーノは、息つく暇もなく、トレーナーのチャーリー・ゴールドマンから次の挑戦者を聞かされた。そして、トレーニングを開始する。相手は階級下のL・ヘビー級現役王者アーチー・ムーアである。


アーチー・ムーアは1番重い階級の王座を獲得したかった思いから、実現にこぎつけたのだった。しかし、ムーアはなんと41才で、しかもL・ヘビー級王座に就いたのが39才で177戦ものキャリアの持ち主である。(※本来、最高齢王座獲得者だったが年齢詐称などでジャー・シー・ジョーウォルコットとなっている。)
ムーア自身は、実力があるにもかかわらず、当時の黒人差別からか、なかなか挑戦権が与えられなかった為に、試合数をこなすしか術がなかった。やっとの思いで王座を獲得した苦労人である。1955年6月22日、カール・ボボ・オルソンを3回KOで倒し、L・ヘビー級王座を4度防衛して、王座を保持したまま、ヘビー級へ挑戦する。


…試合日が1955年9月21日、会場はニューヨーク・ヤンキースタジアムと決定した。
チケットが発売されると飛ぶように売れていった。


…そして、いよいよその日が訪れた。1955年9月21日、ヤンキースタジアムには61,574人もの大観衆で埋めつくされた。
当代きってのスーパースターか、苦労人スーパーキャリアか、どちらに勝利をもたらすのだろうか?観衆も息を飲んで試合開始を待ちわびる。

〜観衆のざわめきの中ゴングが打ち鳴らされた。


…初回から左右の出し合いで始まった。
〜2回に入って、早々ムーアの右アッパーがマルシアーノの顎を突き上げる。
マルシアーノはたまらず〜“ダウン”予想だにしなかった展開である。
カウントを受けながら立ち上がると、マルシアーノは、この回をなんとか持ちこたえた。

3回目以降ムーアが畳み掛けようと必死に攻めるが、マルシアーノも負けじと左右フックで応戦する。

4回目以降、ムーアは打ち疲れたのか、マルシアーノを攻めあぐむようになって行く。6回に右ストレートを貰って、ムーア軽い“ダウン”

それ以降は、盛り返したマルシアーノに余力があるように見える。8回ムーアが腰砕けの軽い“ダウン”をするが、なんとか持ちこたえた。

そして、9回に入ってムーアのスタミナ切れが著しい。マルシアーノは開始早々から左右フックを振り回すと、一発の右フックがムーアの顎を打ち抜いた。ムーア〜“ダウン”
ムーアが立ち上がるとマルシアーノは連打する。またムーア“ダウン”

2度、3度とダウンを繰り返し、ムーアはしゃがみ込んでは立ち上がる。朦朧(もうろう)としながらも耐えるが、次のマルシアーノのボディーブロー、右フックで再びしゃがみ込む。カウントが入って、ムーアは顔を歪めて立ち上がれず、レフェリーはカウントアウトした。〜9回1分19秒でマルシアーノのまたもや逆転KO勝ち。これで、6度目の防衛に成功した。

6万人もの大観衆は打ち鳴らす終了ゴングの音さえも掻き消した。
もうこれ以上の試合はないとばかりに歓声に沸くヤンキースタジアム。ムーアも41才と云う年齢を越えて、立ち向かっていった勇気に観衆は称えて止やまなかった。
まさしく、この試合もボクシング史に残る世紀の1戦となった。

―――――其の6に続く
【Estate of Rocky Marciano&BoXRec〜抜粋・参照】

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2009年9月23日 (水)

《☆伝説のボクサー!ロッキー・マルシアーノ》…其の4〜「王者の道!」

《☆伝説のボクサー!ロッキー・マルシアーノ》…其の4
《☆伝説のボクサー!ロッキー・マルシアーノ》…其の4
《☆伝説のボクサー!ロッキー・マルシアーノ》…其の4
《☆伝説のボクサー!ロッキー・マルシアーノ》…其の4
《☆伝説のボクサー!ロッキー・マルシアーノ》…其の4
《☆伝説のボクサー!ロッキー・マルシアーノ》…其の4
《☆伝説のボクサー!ロッキー・マルシアーノ》…其の4
《☆伝説のボクサー!ロッキー・マルシアーノ》…其の4
☆1952年9月23日、ジャーシー・ジョー・ウォルコットとの歴史に遺る大逆転KO劇で王座を獲得したロッキー・マルシアーノは、初防衛戦に向けて練習を開始した。


…ロードワークを4カ月間に200マイル(約321キロ)も走り込みを続け、スパーリングを225ラウンド消化した。オーバーワークとも取れるハードな練習だった。リマッチを交わしている老練の前王者ウォルコットも返り咲きを狙って、必死に研究して来るに違いなかった。なにしろ前回ウォルコットの左フックで初回にダウンを奪われて、悪夢で始まった前試合を払拭したかったのだ。マルシアーノにとって7カ月間の空白期間はプロになって2回目の長期空白でもある。(※デビューの'47年〜'48年は1年以上の空白があるが野球のトライアウトに参加していて、ボクシングを休止している!)
当初、1953年4月10日(※上記写真チケット)シカゴ・スタジアムでの試合が決定してチケット発売されたのだったが中止となっている。(悪天候の他にウォルコットの故障も含めてと記されている。)その後、改めて1953年5月15日に決定した。


…その日がやって来た。シカゴ・スタジアムに16,034人の観衆が詰めかけた。前回のスリリングな両者の対決にボクシング人気も沸騰していた。


開始ゴングが鳴った。


ウォルコットは前試合のように左フックを武器に挑むのだったが、マルシアーノの動きが良く、逆に序盤からマルシアーノが優位に出る。2分過ぎるとマルシアーノの強烈な左右フック連打でウォルコットはリングに崩れ落ちるように〜“ダウン”。立ち上がれず〜カウントアウト!わずか1回2分25秒でのマルシアーノのKO勝ち。呆気なく終わってしまった。余りにも早い一方的な決着に観衆のどよめきが起こったのだった。〜この後、39才のジャーシー・ジョー・ウォルコットは22年間の選手生活にピリオドを打った。

初防衛に成功したマルシアーノは44勝(39KO)無敗と連勝街道は、更に続いて行った。

―――1953年9月24日、ローランド・ラスターザに11回TKO勝ち。(ニューヨーク)

―――1954年6月17日、イザード・チャールズに15回判定勝ち。(ニューヨーク)

―――1954年9月17日、イザード・チャールズに8回KO勝ち。(ニューヨーク)

―――1955年5月16日、ドン・クックルに9回KO勝ち。(サンフランシスコ)

マルシアーノは5度目の防衛を果たして“王者への道のり”をつくって突っ走る。
そして、大ベテランの強敵アーチー・ムーアとの対戦が決定した。

―――――其の5へ続く!

【Rocky Marciano official website&BoxRec〜抜粋・参照】

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