« 2009年1月25日 - 2009年1月31日 | トップページ | 2009年2月8日 - 2009年2月14日 »

2009年2月1日 - 2009年2月7日

2009年2月 4日 (水)

《二人は何処へ?〜其の②満武志選手編》

《二人は何処へ!〜其の②》《二人は何処へ!〜其の②》《二人は何処へ!〜其の②》《二人は何処へ!〜其の②》☆もう一人の気になる元ボクサーは満武志(東拳)である。現在フラッシュ赤羽ジムの会長である川島勝氏が東拳ジムのトレーナー時代に手塩にかけて育てていた選手だった。満選手は大阪市出身の精肉店の息子である。上京して来て、彼はとんとん拍子に強くなりJ・フェザー級の全日本新人王となった。まだ当時21才と若く、遊び盛りである。酒を覚え、いつの間にかタバコまで覚えてしまったのである。たまり兼ねて注意してもおそらく陰で吸っていたに違いなかった。それでも試合は難無くこなして行き日本ランキングの2位まで掛け上がって行った。息切れもしないので不思議であった。しかし、案の定しかり、その後の試合でやっとの思いで勝った試合があった。明らかにスタミナがなく動きも鈍くタバコに依る兆候だと皆が思ったのである。「あの野郎!また陰でタバコをスパスパ吸ってやがったんだな〜!」とトレーナーが言った。たまらずタバコ禁止令をだした。…1983年7月初めに日本J・フェザー級王者の岩本弘行選手(ヨネクラ)への挑戦が決まったのである。試合は9月27日に決定した。会長やトレーナーは「あれだけこっぴどく云ったタバコは大丈夫なんだろな〜?」心配の種が消えなかった。それでも練習を順調にこなしタイトルマッチに備えた。そして、いよいよその日がやって来たのだった。日本ジュニア・フェザー級王者のベテラン岩本選手と新進気鋭の満選手の試合と云う事で後楽園ホールは超満員となった。…試合のゴングがなった。初回から岩本が接近戦に持って行く。お互い細かい打ち合いから始まった。2R4R6Rと岩本が左ジャブから右ストレート左ボディーでポイントを奪う。間の3R5Rと満が左右フック右ストレートで応戦。ポイントを取ったとみた。7Rに岩本の強烈な左右ボディーブローで満がグロッキーぎみになる。さらに左右フックでダウン寸前になるが満は持ちこたえた。8Rからは満が逆転を狙って左右フック右ストレートで猛追するが岩本の上手いダッキングに交わされる。しかし、満のショートアッパーの細かいパンチは顎をとらえていた。満がポイントを上げたと見た。9R10Rも同じ展開でラスト30秒に今度は岩本の猛ラッシュがあるが満も動じず左右フックの打ち合いになったところで最終ゴングがなった。その最終回の打ち合いに、凄い歓声が上がった。…(100対94)(100対96)(99対95)で王者岩本選手が3対0の判定勝ちだったが数字程の差はなかったように思えた。岩本選手は返り咲きを含め10度目の防衛に成功した。いずれにしても、私は引き分けのように見ていた。…翌年に岩本選手は、のちの世界王者になる六車卓也選手(大阪帝拳)にKO負けして引退した。現在は板橋区大山駅近くで(以和もと寿司店)を経営している。満武志選手は次の試合で判定勝ちしたが、その後の試合では判定負けして引退した。岩本選手とは7年前のあるパーティー会場で会って話しが弾んだのだったが、満選手とは26年も会っていない。川島会長や当時の専任トレーナーに聞いても「いや〜!あいつ引退してからサッパリ顔もださず消えていなくなったって感じだね!どうしてんだろうね?」としか言葉が返ってこない。大阪に帰ったのだろうか?どこで何をして暮らしているのだろうか?何とも懐かしいあの日の激闘の試合を思い出すのである。〜正に強者(つわもの)どもの夢の後である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月 3日 (火)

《二人は何処へ?〜其の①磯上秀一選手編》

《二人は何処へ?〜其の①》《二人は何処へ?〜其の①》《二人は何処へ?〜其の①》私が最も気になる思い出深い二人の元ボクサーがいる。磯上秀一(辰東)と満武志(東拳)である。普通は引退しても懐かしさのあまり後楽園ホールに顔を出すものなのだが、忽然と何処かへ消えたように顔を見ないのである。…先ず磯上秀一は、'80年4月2日蔵前国技館でWBA世界バンタム級王者ホルヘ・ルハン(パナマ)に挑戦したが9R2分47秒のTKO負け。ルハンのボクシング技術に翻弄され集中連打を浴びてストップされた。この時はテレビ観戦したのだったが、2年後の'82年3月23日、村田英次郎とのライバル同士対決は友人のトレーナーが教えている選手も出場すると云う事でチケットが手に入って後楽園ホールに見に行った。東洋太平洋バンタム級タイトルマッチである。東洋太平洋王者の村田選手とWBA世界バンタム級8位の磯上選手の好カードと云う事で超満員の立錐の余地もなかった。そして、メインイベントのゴングが響き渡った。…試合は1R序盤に磯上がワンツーで仕掛けて幸先よいスタート。村田も後半応戦。2R中盤磯上の右ストレートがヒットし村田がグラつく。磯上有利な気配。3Rに入ると序盤から村田の体が暖まったのか動きが良くなりワンツーストレートを打ち込みヒットする。村田が右ストレートでダウンを奪うと磯上が立ち上がりざまにまたもや村田の左右フックでダウン。2分過ぎ村田の左ジャブから右ストレートが深く入って磯上が三度目後ろへもろに倒れて立ち上がろうとするがカウントアウト。3R2分32秒の呆気ない村田選手のKO勝利に終わった。…磯上選手は(リングネームを秀一から修一)に変えて心機一転で対戦したのだったが実らなかった。この磯上選手のボクシングスタイルが一風変わっていた。べた足でつっ立った前かがみの姿勢でギコチなさそうで運動能力も余りなさそうに見えるのだ。しかし、打たれると耐えて耐えて形勢をひっくり返す試合が多かった。相手に打たせておいてカウンターを狙う戦法なのだ。なにしろ相手が打ち疲れてチャンスとみると怒涛の如く前へと押して出て左右のフックやカウンターで倒す試合が多かった。だから「突貫ボクサー!」とあだ名が付いていて人気があった。…その後、引退してボクシング雑誌に数回しか出ていない。ラーメン店の店員だった事と、その後喫茶店の店員だった事だけで途切れている。昨今、インターネット上で「あの磯上秀一を居酒屋で見た!一人で飲んでてかなり酔っ払っていた!」やら「建築作業員をしているのを見た!」との書き込みがあるが定かではない。ただの噂に過ぎない。引退後に後楽園ホールで見掛けたことは二度となかった。余計なお世話だが!〜何故!あれだけの選手だったにもかかわらず人前に出て来ないのだろうか?避けているようで神隠しにでもあった様に妙に謎である。〜其の②に続く。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年2月 2日 (月)

《叱咤激励!》

《言葉の重み!》 曾(かつ)て言葉の重みを高校時代の国語の先生が言った。「君には君の道があるんだよね!勉強が嫌なら学校に来なくても結構です。どうぞご自由に!後の後悔先に立たず!と云う事になるね…しかし、君に相談する義務が俺にはあるんだ!…いいか!後になりゃ判るよ俺の言っている意味が?」これは、私が余りにも学校を休んだ事で叱って先生が云った言葉。何かと言えば名前を呼ばず「おい君!」が口癖だった。笑ってしまうが!先生は北原謙次の「若い二人」を口ずさんでいた。「君には〜君の〜!」だから「君!」なんである。国語の先生でお寺の住職もしていて異色だった。その頃はみんな「なまぐさ坊主!」と陰口をしていたのだった。しかし、数十年経ってもその言葉は忘れていないし死ぬ迄忘れないと思っている。なんとも単純明快な「叱咤激励」の言葉だったのかと思う次第。…特に言葉の生業(なりわい)とするテレビやラジオの司会、キャスター、コメンテーターはその一問一答が明言苦言となる。ある日、テレビを見ているとスポーツコーナーでタレントで女優の(東ちづる)が言った。…「勝って奢(おご)らず!負けて腐らずですよねぇ〜!」確か相撲と野球のコーナーだったと思うがこれこそ単純明快な名言だと思うし良くスポーツを心得ていて普段から勉強していると思った。よく聞くスポーツへの叱咤激励の言葉だがこれがよかった。さすが、曾(かつ)て日本一お嫁さんにしたいタレント一位に輝いた人である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

《元NHKアナウンサーの失言!!》

《元NHKアナウンサーの失言!!》
元NHKアナウンサーで相撲ジャーナリストの杉山邦博氏は、テレビ朝日のスポーツニュースの番組で相撲界の大麻騒動の問題を話していた。日本相撲協会の対応を非難するのだったが、他のスポーツをたとえ比べて、こう切り出した「相撲はボクシングやプロレスの興行とは訳が違うんです!よくもここまで成り下がったもんです!」と発言した。数秒後「あっ!違います。訂正します!」と言い張ったが遅かった。その事は日本全国に流れた。杉山氏は盛んに日本の国技だ!日本の伝統文化などと苦言提言される。ならばもっと他のスポーツも勉強されるほうがよろしい。「ボクシング、プロレス」と例えると云う事は普段から心の隅に蔑(さげす)んだ気持ちがあるから言葉に出てしまうのだ。杉山邦博氏は日本福祉大学や中京大学院で講師もなさっている方。マスメディアによく出られるがそのほとんどが相撲評論家としてだけだ。世の中には相撲より険しいスポーツも存在すると云うことを知って欲しいのだ。そして、今後スポーツを解説するのであれば基本的に中立な立場で発言しなければならない。…以上

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月 1日 (日)

《マタギの如く!》

《マタギの如く!》
《マタギの如く!》
〈後楽園ホールのある日の控室で!〉
プロボクシングの試合前の選手達の表情は緊張しきった者、リラックスして緊張感がなさそうな者、妙に笑顔のある者と様々だ。これから戦う拳士達、それを支える指導者達。
「勝利」と云う「獲物」を捕りに行く狩猟集団①「マタギ」のようである。
獲物には当然「負け」もあり「引き分け」もある、と云う具合にくたびれ損の銭失いもあり得る。
例えば、日本王者への挑戦でも数十万円〜数百万円のお金を挑戦者側が積まなければ成立しないのである。何故こんなに幅があるかと云うと日本王者で世界ランキングの上位にいれば当然付加価値が付く。
プロである以上お金が動くのは当たり前で興行を打つ会場などの借り賃費用や選手のファイトマネーの支出もある。
従って選手達の所属するジムの資金力も重要で、スポンサー集めの力量も必要なのだ。
「勝利」と云う「獲物」を得るには選手はもとより所属するジムの裏方で動く人々も大変な苦労と努力が伴うのである。だから、その「獲物」を獲得した時には喜びは大きいのだ。

〈マタギ言葉〉
マタギ風に云うと②(待場)がリング場所で③(目当)が指揮するトレーナー。
④(とな声)が試合に感動する観客となる。
大方、集団で行動する「マタギ」の役目に当て嵌(は)まるのがふしぎなのである。
若い人は「マタギ」を知らない者が大半。*集団による狩猟者達のこと。
「マタギ」は太古の昔からあり文献で判っているのは平安時代とされているが、それ以前からあったとも言われている。北海道や東北北部、九州の中央山岳地帯にも存在した。
〈概要〉
①は夏季には農業を営み冬になると集団(8人〜10人と文献にある)で奥深い山に入り小屋を造って泊まりがけで狩猟をした人々を指す。
獲物はカモシカや野うさぎや熊などだ。
②(待場)獲物を追い込む位置に弓や石斧を持って待機する場所。
③(目当)狩人の総指揮をする人。④(とな声)狩の後に気勢を上げて喜び合い。山神にも獲物にも感謝を捧げる。

颯爽(さっそう)とリングに向かうその集団は獲物を追って行く「マタギ」の如くである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

《失職中の若者よ!》

昨今、「派遣切り」や「倒産」で失職中の若者が12万4802人に達したと厚生労働省が1月30日に発表した。特に20代〜30代の若者が大半を占めていると云う。余談だが、何しろボクサー達の仕事もアルバイト社員がほとんどと云っていい。しかし、彼等は今の仕事を例え切られても直ぐに探して来るから立派である。これは所属ジムの紹介やジム仲間の横の繋がりがあるから選手や練習生には心強いのだ。私の知っているジムに所属する若者に無職の者はいない。ボクシングをやる上で仕事を選ばず何でもやる気があるからに外ならない。彼等には目的がある。リングに上がり戦って勝つと云うこと。そして、達成感を得たいと云うことだ。傍(はた)から見る人には、そんな「痛い目」にあって何になるんだと云う人もいる。よく云う「何であなたは山に登る!」〜と「そこに山があるから登る!」と単純明快な応え。それと同じなのだ。ボクシングと云うスポーツは若い内にしか出来ない。今、失職中の若者12万人以上の中にボクシングに目覚める者がいる筈だ。目標を持たない人生がもったいない。あんな仕事は合わない!こんな仕事は合わないでは、舵(かじ)のない船である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年1月25日 - 2009年1月31日 | トップページ | 2009年2月8日 - 2009年2月14日 »