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2009年2月22日 - 2009年2月28日

2009年2月28日 (土)

《ボクシングのテレビ放送に(作家)室井佑月をゲストにすれば面白い!》

《ボクシングのテレビ放送に室井佑月をゲストに!》《ボクシングのテレビ放送に室井佑月をゲストに!》☆作家でコラムニストの室井佑月は格闘技好きかどうかは分からないが?…まずボクシング中継は世界戦を除けば深夜放送枠になっている。日本・東洋のタイトルマッチは大半が(衛星放送除く)深夜の2時〜3時の放送なのだ。この時間帯は殆どの人が寝ている。これが目の付けどころなんである。録画して見ると云う楽しみがあるのだ。もし、室井佑月をゲストに迎えて喋らせれば、ボクシングと云うスポーツをどんな視点でみて、どんな回答するのか?絶対に見逃せない筈。…「解説の○○さん!なんで、あんなところでダウンするのよ!おかしい〜じゃん!」〜「あの選手まともに下がってサ〜なんの防御もないし、フェイントもしてないじゃん!だから倒れるんだよね〜ッ!」と彼女は首に青筋たてて、口をとんがらかして云う筈。持ち味は辛口でズバズバまくし立てる。そこが狙いなのだ。おそらく、一試合見れば彼女のことだから解説の問答も難無くこなしてしまうだろう。とんでもない発想かも知れないが、ボクシングと云うスポーツに室井佑月の毒舌が絶対に面白いはずだ。…実現不可能かも知れないが?

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2009年2月26日 (木)

《スポーツ紙に芸能界の一面掲載は不要だ!》

《スポーツ紙に芸能界一面掲載は不要だ!》《スポーツ紙に芸能界一面掲載は不要だ!》☆'09年2月25日(水)の朝、出勤途中に駅の売店でスポーツ紙を買った。仕事の合間の休憩時間に読もうと思いBagに入れたままにして置いた。〜昼食が済んでまだ時間がタップリあるので、スポーツ紙をBagから引っ張り出す。一面を見ると女優と歌手の“23年振りの復縁”の紙面。私は一瞬「なんじゃこりゃ!」と思った。一面全面を使ってまで芸能界の(色恋)沙汰を載せて、普段スポーツ紙を読まない人にまで購読者を増そうと云う魂胆か?まるでタブロイド版の芸能新聞の趣(おもむき)だ。朝、慌てて買ったので、あの未確認飛行物体や火星人の疑(いかが)わしい写真を一面に載せたTスポーツ紙と間違ったのかと思った。よ〜く見るとやっぱりいつも買っているNスポーツ紙だったのだ。いくら(スクープを打った!)とは云え、本来のスポーツ紙としての使命を逸脱しているではないか。いくら昔から芸能界と共存して来たとは云え、そんな(色恋)なんざ芸能欄で充分な筈である。何故!そこまでやるか?ハッキリ云ってスクープの(履き違い)だと思う次第。…些(いささ)か一面に持って来ると云うのは疑問であり(不要)だとも思う。そればかりか、今度は翌朝、芸能欄の二面も割(さ)いて懲りずに載せているのには笑ってしまう。しかし、スポーツのスクープはないのだろうか?…ネタ切れか?まったく持って情けなく思うし純粋にスポーツを追って書けよと言いたい!…

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2009年2月23日 (月)

《ボクシングの年間表彰に白井義男賞を創設せよ!》

《ボクシングの年間表彰に白井義男賞を制定せよ!》☆プロボクシングをもっと発展させるには冠を施(ほどこ)す事によって、もっと健全なスポーツとして活性化し、もっといい方向に繋(つな)がるのではないかと考える。(財団)日本ボクシングコミッションとは別に、あのエディー・タウンゼントさんの偉業を称えて冠賞を創設。日本プロボクシング協会が1990年に創設した(年間最優秀トレーナー賞)も教える側の向上に繋がっている。「ボクシングの父」と言われる白井義男さんの冠があってしかるべきではないか。私は白井義男さんが口癖のように言っていた、「ボクシングは、打つことばかりではダメなんです!打たせないで打つ技術をもっと磨かないと世界に通用しないんです!」テレビの解説で何度も聞いたものだった。その事は若い選手の身体を心配しての「叫び!」とも取れた。またこんな事も言われていた「ボクシングをもっと健全なスポーツにしなきゃいかん!」とも。…ボクシング界がその言葉を重んじるのであれば絶対と言ってもいい位に冠賞の創設に意味があるのだが。…戦後間もない頃、フライ級の世界チャンピオンになった白井義男さんは「希望の光!」と言われ、その功績は日本人の勇気と繁栄の力になったのだから。2003年12月26日に白井義男さんが80歳で亡くなって6年になる。ボクシング界全体もその偉業を称えて、そろそろ考えてみてはいかがとも思う次第である。…(財団)日本ボクシングコミッション・日本プロボクシング協会・(社団)日本アマチュアボクシング連盟・東京運動記者クラブ・ボクシング分科会の皆さん是非提案の程を。

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《第25代日本ライト級王者・用皆政弘…其の①》

《第25代日本ライト級王者・用皆政弘…其の①》《第25代日本ライト級王者・用皆政弘…其の①》
…用皆政弘氏とは自宅が近いと云う事もあって、よく居酒屋へ飲みに行く。人気があった現役時代から知ってはいたが近寄りがたく声をかける機会はなかった。
しかし、ある時、たまたま仕事絡みで話すようになった。平成9年からだから12年になる。
「ヨウガイちゃん!」「おぅ〜海ちゃん!」と!〜なにか気持ち悪いが!別に(小指関係)ではない。それには訳がある。用皆氏が鹿児島県鹿屋市出身で、私が熊本県八代市出身と云う隣の県同士でなんとなく親近感があるのだ。
云うまでもなく酒豪。運よく近くに鹿児島料理のお店があり、キビナゴの天麩羅で一杯と云う事になる。
飲みに行く時は「ボクシングの話しはやめよう!」と云って置きながら、結局最後はボクシング談議になっている。それも他の客を巻き込んで話しが夢中になる始末。
そんな用皆氏は高校時代からボクシングを始めインターハイや国体などに出場して活躍。その後、中央大学へと進んでモントリオール・オリンピックの代表候補にもなった。
その当時は、アマチュア選手に有りがちなポイントゲット形で基本に忠実できれいなお手本ボクサーではなく、部類の豪快なノックアウトにこだわり当時からプロに向いていた。
いつだったか後楽園ホールで具志堅用高氏が「や〜!先輩お元気ですか?」と声を掛けて来て懐かしんでいた。高校時代同じ九州で活躍した二人である。それだけアマチュア時代から名を知られた存在だったのだ。…其の②に続く

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