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2010年1月24日 (日)

《懐かしきボクサー!〜大和田 正春》…其の2[No.143]

《懐かしきボクサー!〜大和田 正春》…其の2[No.143]
☆ 1985年2月5日、WBC世界J・ウェルター級8位/赤井英和(グリーンツダ)対日本ウェルター級8位/大和田正春(角海老宝石)の試合会場、大阪府立体育会館は超満員となった。

両者が登場すると歓声が沸く。

赤井は「浪速のロッキー」として全国区の人気を誇っていたが、大和田の大阪での知名度は低く、熱心なボクシングファン以外には知られていなかった。

大和田は在日米軍隊員の父と日本人の母との間に生まれた。この当時、世界ミドル級王者で絶大な人気を誇ったマービン・ハグラー(米国)に風貌が似ていたことから、東京ではいつの日からか「和製ハグラー」と呼ばれる様になっていた。

リングに登場した両者はお互いコーナーを見遣る。
赤井は調子の良さをアピールするように両手を上げながら笑みを浮かべる。
大和田は真剣な面持ちで体を動かし、キリッとしていた。

観衆のざわめきの中リング上は緊張感が漂う。

リングアナの選手紹介が終わるとリング中央で注意を受けてコーナーに戻ると一瞬ざわめきが止んだ。

〜そして、ゴングが打ち鳴らされた。

…初回はお互い接近しての左右出し合いで始まった。
やや大和田の左ジャブが赤井をとらえている。

2回〜3回までは赤井も左右で攻めるが動きがよくなく大和田のジャブを容易に貰う場面が多くなっていく。

4回に入って益々大和田の動きがいい。左ジャブから左フックで赤井をコーナーに追い込んで右ストレートをヒットさせ赤井は“ダウン”。
立ち上がり、なんとか必死で応戦して、この回はゴングに救われた。

5回〜6回と赤井は左右で反撃を試みるがダウンが響いたのか体が重く思うように攻めきれない。明らかに大和田がポイントリードをしている。

7回に入って赤井は大和田の左ジャブにてこずり反撃も見い出せず、動きも鈍る。
ラウンド終盤になって、大和田の右アッパーから左の強烈なダブルフックで赤井は前のめりに顔を打ちつけるように“ダウン”…
カウントを取られながら立ち上がろうとするが、再び仰向けに倒れ込んでしまった。

そして、カウントアウト…赤井の7回2分48秒のKO負け。

大和田はリング上を廻りながら手を突き上げ勝利アピールをするのだった。

この後、リング上に倒れ込んだままの赤井の容態がおかしくなった。
リングドクターも赤井陣営も、ただ事ではないことにきずき、場内の観客も騒然となったのである。
そして、直ちに担架によって病院へと運ばれていった。

誰もがこんな戦慄をおびた試合になろうとは予想も出来なかった。

…赤井は大阪市内の病院へと担ぎ込まれ、診断の結果「急性硬膜下血腫脳挫傷」と診断されて重体であると発表された。
この日の夜9時のニュースで全国に流れ大騒ぎとなった。

このニュースを聞いた大和田選手の心情もただならぬ気持ちだったに違いなかった。

それから一週間くらい経った頃には、なんとか生死の境目からは脱して快方に向かいつつあるとの報道がされる。

そして、数カ月経った頃テレビの画面に生死をさ迷って生還した赤井英和の笑顔の姿があった。
そんな姿にグローブを交えた大和田選手も胸を撫で降ろす心境だったに違いなかった。

そんな大和田は一躍名を上げ、東京での戦いは順調に行くかと思われたが、その先には再び試練が待ち受けていた。

‥‥‥其の3に続く

【ボクシングマガジン/Youtube/Wikipedia〜参照】

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