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2010年4月18日 - 2010年4月24日

2010年4月21日 (水)

《悲惨な結末!2階級制覇でパーフェクト王者のエドウィン・バレロ(ベネズエラ)が妻刺殺で逮捕!〜そして留置場で自殺!》[No.159]

《悲惨!2階級制覇でパーフェクト王者のエドウィン・バレロ(ベネズエラ)が妻刺殺で逮捕!〜そして留置場で自殺!》[No.159]
《悲惨!2階級制覇でパーフェクト王者のエドウィン・バレロ(ベネズエラ)が妻刺殺で逮捕!〜そして留置場で自殺!》[No.159]
《悲惨!2階級制覇でパーフェクト王者のエドウィン・バレロ(ベネズエラ)が妻刺殺で逮捕!〜そして留置場で自殺!》[No.159]
《悲惨!2階級制覇でパーフェクト王者のエドウィン・バレロ(ベネズエラ)が妻刺殺で逮捕!〜そして留置場で自殺!》[No.159]
…4月19日なんとも衝撃的で悲惨なニュースが飛び込んで来た。
日本でもボクシングファンなら誰もが知っている。27戦27勝(27KO)無敗のWBCライト級王者(休養王者扱い)のパーフェクター。あのエドウィン・バレロ選手(ベネズエラ=27)が妻のジェニファー夫人(24)を刺殺して逮捕された留置場で自殺したとの報道で衝撃が走った。

エドウィン・バレロは2004年バイク事故が原因で頭部に異常が見つかり休養中だった時期に、2006年初め帝拳ジムの誘いを受けて、その年の10月からベネズエラから拠点を東京に移し移住して夫婦子供達ともに生活していた。
しかし、夫人のジェニファーさんが極度のホームシックに掛かり2009年1月に帝拳ジムとの契約を解消してベネズエラへ帰国する。
その後、2009年2月からは米国を拠点に移し、大物プロモーターのボブ・アラム氏の主催するトップランク社へ移籍契約していた。

日本人選手との対戦も記憶に新しい。
2007年5月3日、本望信人(角海老宝石)選手との対戦は本望選手の善戦もあって8回1分54秒の負傷ストップのTKO勝ちで完璧なKOならず。

2008年6月12日、嶋田雄大(ヨネクラ)との対戦は問題とせず、やや長引いたが7回1分55秒のレフェリーストップのTKO勝ちで4度目の防衛。
この後、2008年9月4日、WBA世界S・フェザー級王座を返上する。
この時期にはマニー・パッキャオとの対戦話しも浮上したが結局実現しなかった。
…2009年4月4日、一階級上げてWBCライト級王座決定戦に臨みアントニオ・ピタルア(コロンビア)から3度のダウンを奪い、2回TKO勝ちして2階級制覇に成功。

しかし、その後はトラブル続きだった。
2009年9月24日母国ベネズエラの酒場での金銭トラブルで暴力事件を起こして逃走の果て警察に逮捕される。

2009年11月14日マニー・パッキャオ対ミゲール・コット戦の前座を組まれていたが、暴力事件が災いしたのか米国発給ビザを拒否され渡米出来ずに試合は中止となった。
その後、アルコール依存症と診断されて療養に専念。

2010年2月6日アルコール依存症を克服して暫定王者のアントニオ・デ・マルコ(メキシコ)との対戦で9回TKO勝ちで2度目の防衛を果たした。

しかし、今度は3月に入ってジェニファー夫人への暴力でまたもや逮捕されている。事情聴取後に釈放されたのだったが・・・
そして、そんな矢先続けざまに、なんとも忌まわしい想像も出来ない事件となってしまった。

まだ27才で試合の積み重ねも出来たはずだったが・・・
何故!どうして!こんな最悪の結果になったのか?
誰かがサポート出来なかったのか非常に残念だ。
家族揃っての仲睦まじい写真を見ると想像もつかないし、残された子供達が不憫でならない。

〜そして、もう二人の冥福を祈るしか術がない。


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《井岡一翔の対戦者は過去に死亡事故を起こしたハードパンチャーだった!》4月18日/大阪府立体育会館第1会場 [No.158]

《井岡一翔の対戦者は過去に死亡事故を起こしたハードパンチャーだった!》4月18日/大阪府立体育会館第1会場
《井岡一翔の対戦者は過去に死亡事故を起こしたハードパンチャーだった!》4月18日/大阪府立体育会館第1会場
《井岡一翔の対戦者は過去に死亡事故を起こしたハードパンチャーだった!》4月18日/大阪府立体育会館第1会場
《L・フライ級ノンタイトル10回戦》

WBA/L・フライ級13位/=WBC/L・フライ級14位
井岡一翔(井岡)
=VS=
インドネシアL・フライ級王者
OPBF7位
ヘリ・アモル(インドネシア)

…井岡選手は1回〜8回まで左右アッパー、左右ボディー、右ストレートの有効打で終始ポイントをリードしたが、42戦を誇るアモルを倒すまでにはいかなかった。
逆に、9回終了間際アモルのタイミング良い右ストレートを浴びてプロ、アマを通じて初ダウンを喫した。
最終ラウンドも打ち合いで終了。
ダウンはあったものの終始有効打の多かった井岡が(6P〜7P)差の3−0での判定勝ち。

しかし、井岡は油断もあったろうが、アモルの一瞬の右ストレートを浴びてしまい、意外に顎の弱いところが露呈してしまった。
顎は鍛えようがない。課題として、打たせないデフェンスを磨くしかないだろう。

…対戦したヘリ・アモルは2007年12月25日韓国でのWBOインターコンチネンタルフライ級王座決定戦の試合で元WBC世界L・フライ級王者(3度防衛)だった崔堯三(チェ・ヨサム/後に堯三から堯森に改名=韓国)を12回終了間際に強烈な右フックでダウンを奪っている。
試合は崔選手が3対0で勝利したものの試合終了後に意識不明となり、病院へ運ばれたが2008年1月3日に崔選手は帰らぬ人となった。

その後、アモルは2009年9月26日に最近世界戦を終えて判定負けした黒木健孝(ヤマグチ土浦)ともOPBF東洋太平洋ミニマム級1位で王座に挑戦している。3対0での敗戦となったが、この時も随所で右ストレートを黒木に浴びせていた。
ヘリ・アモルは強者との対戦でことごとく判定負けしてはいるが大変危険な相手だったと言える。その戦う前の10敗の内6敗はBoXRecで調べると際どい判定負けだったのだ。

井岡一翔
4戦4勝(2KO)

ヘリ・アモル
42戦27勝(11KO)11敗4分

【試合模様Youtube参考】

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