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2010年8月 6日 (金)

《続編パート3!ボクシング本〈一拳一会〉の大騒動未だ止まず!》

《続編パート3!ボクシング本〈一拳一会〉の大騒動未だ止まず!》
《続編パート3!ボクシング本〈一拳一会〉の大騒動未だ止まず!》
《続編パート3!ボクシング本〈一拳一会〉の大騒動未だ止まず!》
…2ちゃんねるの(ボクシング板)大騒動の原因は上記の本の売り方にある。

この本の監修者は、何故!2ちゃんねるにスレ立てされたのか、意味すら判らないでいる。
その所業を本人にいくら説明しても分からないから堂々巡りで騒ぎが収まらないのだ。

本人いわく「ちゃんと了承の上で、契約して書いて貰っている!買い取りも、何も問題はない!」
と言い張っているが、最初からちゃんとやっていた訳ではなく後から言い訳しているに過ぎないのだ。

最初に、本を出版するにあたって、本になることばかりを強調し、その気にさせて、ちゃんとした詳しい説明もせず、執筆者に書かせるだけ書かせておいて、本が出版されてから買い取りの要求をして来たのは事実である。周りが騒ぎ始めてから、2ちゃんねるで糾弾されても仕方のない話し。
いくら反論しても覆る訳がない。騙していたのだから叩かれて当然である。

大半が口約束で始めて、人によって契約条件がまちまちで、いい加減だったのが、そもそもの間違いでもある。

この監修者は障害者なのだが、2ちゃんねるの反論者に返す言葉が、必ず「障害者差別だ!」と障害を楯にして騒ぎ立てるのだ。

人間だから間違いもあろうが、この人物に限っては、確信犯的なところがありありで、口実に伏すところがなく、呆れるばかりだ。
世の中には、こんな障害者もいるんだと、つくづく実感させられた。

2ちゃんねるを覗くと監修者の考えられないあらゆる悪事も次々と暴露された。

私は、2ちゃんねるは覗くことはあっても、書き込んだことなど一度もない。
しかし、監修者の私に対しての憶測は半端ではない。
まるで、私が先導して、2ちゃんねるを動かしているかのような言動と、執筆料や印税の要求をしたなどと、ありもしない嘘で固めた言動は許されることではない。
ましてや、私と監修者は執筆した時の電話での4、5回のやり取りと、後楽園ホールやパーティーでの2、3回の簡単な立ち話し程度で深い付き合いはないのが事実で、私と言う人間を知るよしもないはずだ。
確か、この監修者は44才になるはずだが、年齢に相応しい言動や行動も一般社会とは掛け離れた解釈で人付き合いをしているように思える。

これから先、身体障害者うんぬん以前に、人間としての行いが問われることになるだろう。

監修者は改めて、何故!
こうなったのかを考える必要がある。
それも無視するようであれば、一般社会では通用しないし、生きて行けないだろう。

協力者達を裏切ったのだから・・・

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2010年7月 2日 (金)

《日本S・ライト級1位長瀬慎弥選手(F赤羽)日本タイトル前哨戦!》7月14日/後楽園ホール [No.171]

《日本S・ライト級1位長瀬慎弥選手(F赤羽)日本タイトル前哨戦!》7月14日/後楽園ホール [No.171]
…長瀬選手は昨年12月8日アモル・ティーノ(比)戦の判定勝ち以来の試合となる。

'06年3月4日には日本王座挑戦も経験済み。当時の王者木村登勇選手(横浜光)に、この時10勝(6KO)1分け無敗で挑み、2度のダウンを喫しながらも諦めず向かっていく試合展開に歓声が沸いた。
この時初めての敗戦を味わう。

もうあれから4年以上の歳月が流れた。一時期怪我や体調不良で闘うモチベーションを崩しかけたが、それでも永い間上位を維持して、またもやトップコンテンダーに踊り出た。立派につきる。

本日対戦する生田真敬選手はノーランカーながらランキングボクサーとも2度対戦しているが、今一歩のところで引き分ける試合などがあり、ランクインにもうひと踏ん張りと云うところ。
〈みどころ〉
長瀬選手が一気にワンツーできっかけを掴み、持ち前の左右ブローで畳み掛けられるか、それとも生田選手が長瀬選手の強打を封じて、逆に得意の右ストレートをヒットさせ、試合の流れを変えられるかが見もの。
いずれにしても、長瀬選手は2度目のタイトル目前で落とす訳にはいかない大事な試合となる。

〈セミ〉
ズリ・カンナン選手の試合展開はいつも突拍子もない戦法で予測が付かないが、試合のたびに沸かせてくれる人気上昇中のハッスルボクサー。

上を目指している以上、本日は単なる消化試合ではない。
対戦相手の渡邉選手もランクインを狙って必死に挑んで来る。

〈みどころ〉
カンナン選手は左右ブローでポイントを重ねるタイプ。
左ストレートには強打を秘めているが、いつもあえて深追いはしない、しかし、ランクインを狙う渡邉選手は自ら打ち合いを挑んで来るはず。カンナン選手は上にアピールする為にも倒しに行く場面もあるかも知れない…

〈村中優選手(F赤羽)復帰戦〉
元ライト・フライ級9位村中優選手の2年ぶりの復帰戦は、いきなり'05年度全日本フライ級新人王で強打者(17勝中13KO勝ち)の奈須勇樹選手との対戦。この倒し屋にどう立ち向かうかが見もので2年のブランクを払拭出来るかどうか果たしてどうなる…


【試合当日のパンフレットから】

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2010年6月14日 (月)

《続編!ボクシング本〈一拳一会〉の【買い支え商法】2ちゃんねる騒動ぶり返し!》※特にボクサーの皆さんや関係者の方に注意を促します。 ◇2ちゃんねる【悪質!自費出版商法】のスレ応援ブログです!

《続編!ボクシング本〈一拳一会〉の2ちゃんねる騒動振り返し!》
《続編!ボクシング本〈一拳一会〉の2ちゃんねる騒動振り返し!》
…未だ止まぬ2ちゃんねるの【一拳一会】の騒動に対して私(海田イサヲ)は正々堂々と受けた仕打ちと真実、事実を暴きます!

先ず、ボクシング本【一拳一会】の出版の販売方法や執筆者に対しての契約は明らかに不備であり、まともなものではなかった。

第1弾、第2弾と出版されたが、執筆者との契約がまちまちで、いい加減だと指摘される。その後、執筆者が販売方法を改めるよう要求した者や、執筆を断った人達を、監修者若しくはそのブレーンによって「2ちゃんねる」や「ブログ」で誹謗中傷攻撃した為に不満者が続出する。
出版にあたっては、ちゃんと契約書を交わした者もいるだろうが、有名選手のほんの一部だけである。そうでない無名選手や関係者の書き手には簡単な口約束で済ます者が多かった筈。これは、出版する監修者が焦りもあってページを埋める為に、意図的に説明がなされなかったとしか思えない。しかし、概ね書き手を甘く見て内容説明をおろそかにし、書き終って原稿を送り、本が出来上がった時点で買い取りを要求する仕組みだったのだ。前以て、買い取りの話しは一切せず、悪質極まりない話しである。

第3弾も出版されたらしいが、おそらく騒動で指摘された事柄をその都度内容を変えて、苦情が出ないようにして、恰(あたか)も何も無かったかの様に取り繕(つくろ)うであろう。そして、「買い支え」と称して言い変え、更衣(ころもがえ)する魂胆である。

今だ2ちゃんねるでの監修者の「後ろ盾」が援護に必死であり、前回の執筆者が売り方改善を促した者や、執筆を断った者に対して逆切れして誹謗中傷を繰り返す日々である。

監修者の決まり文句が「ボクシング界に貢献したい!」が口癖だが、何を貢献しているのか、意味不明である?
ただ監修者として名前を印刷し、本を売り捌(さば)きたいだけの行為だろう。出版を続けてもボクシング界には、何の貢献にもならず、有名ボクサーや有名ジムを利用して、書店販売ルートのない某出版社と結託して販売促進するだけのことで被害者が増えるだけである。

2ちゃんねる騒動で少しは頭を冷やしたかと思われた監修者だが、普通の神経では考えられない益々意気軒昂だ!

しかし、このまま前回の執筆者に対して監修者の「後ろ盾」が誹謗中傷を繰り返すようであれば、法に訴えてでも第1弾、2弾の「出版販売差し止め」はやむを得ないと考えている人も大勢いる。(2ちゃんねるで確認済み)

…最後に2ちゃんねるでの「後ろ盾」が書き込んだ「海田イサヲは高額ギャラ請求!」や「印税要求!」とあるが、全くのデタラメ。私は監修者、関係者に原稿料の要求や印税要求などした事実は一切ない。憤慨どころか呆れて声も出ない。立派な「名誉毀損」である。

第2弾の執筆は、時間を割いての無償奉仕だったのが事実で一銭の原稿料も受け取っていない。全くのボランティアだった。
それにも拘わらず、販売方法を注意しただけで悪者扱いで誹謗中傷の的である。監修者は、いま持って自分が正しいかのように振る舞い、後ろ盾を使って抵抗し善良を装い、人の意見も受け入れない。こんな輩が「作家」と名乗り、世の中に通用する筈もない。

〜驚いたことに、ボクシングライター(作家)と肩書きを名乗るこの監修者はボクシングの事に関して、文章も記事も、何一つと存在しない。また、2ちゃんねるでは「千代は簡単なボクシング用語も通じないくらい無知である!」と元接触した関係者に暴露されている。
要するに、他人の書いた記事を束ねて本にしてボクサーやボクシング関係者に売り付けるだけのことである。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
※特にボクサーの皆さんや関係者の皆さんは注意が必要です!
ジムや選手達本人に直接監修者から電話が入り、障がい者(監修者)を武器に同情心をあおり、原稿を依頼して来ます。本が出版(自費)されると100冊、200冊と買い取り要求となり、大半が本の売り捌(さば)きに四苦八苦する羽目になります。〜ある選手は100冊を買い取り、12冊しか売れず88冊も山積み状態で、友人から借金してまで「買い支え名目」で支払ったが、どうしようもなく困っていると…(2ちゃんねるで確認済み)〜この後、監修者本人かブレーンによって、この選手を「売る力もないから選手としても強くなれないんだ!」と励ますどころか罵倒叱責する始末。とんでもない人間性が見えて来る。

若いこれからの選手達は監修者の「君のことが本になるよ!」の甘い話しに心動かされて話しに乗ってしまわないことが大事です。
一旦、引き受けてしまって、本が出来上がってしまうと返品や解約は絶対聞き入れて貰えません。

こんな不景気な世の中に2,100円の本が手売りで簡単に100冊、200冊と売れるはずがないのです。
結局、売れ残って大量に抱え込んでしまいます。
そして、「買い支え」と称する高額な支払い(100冊の卸し値160,000円)も残ってしまうのが関の山です。

皆さん「悪徳!買い支えマルチ商法」なのですから注意しましょう!

―――(続編パート2へ続く!)

※コメント欄は大反響で沢山のメッセージやコメントを頂きましたが、荒らしや嫌がらせのコメントで対応出来なくなり、やむなく閉鎖いたしました。
快いコメントをされた方のみを閲覧出来ます。
〜悪しからず!

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2010年5月21日 (金)

《5月19日はボクシングの日》5月19日/後楽園ホール [No.167]

《5月19日はボクシングの日》5月19日/後楽園ホール
《5月19日はボクシングの日》5月19日/後楽園ホール
《5月19日はボクシングの日》5月19日/後楽園ホール
《5月19日はボクシングの日》5月19日/後楽園ホール
《5月19日はボクシングの日》5月19日/後楽園ホール
《5月19日はボクシングの日》5月19日/後楽園ホール
…1952年5月19日は日本にプロボクシングの世界チャンピオンが初めて誕生した記念すべき日である。

復興間もない東京もまだ戦争の傷跡が残っていた時代。

後楽園球場にプロボクシングの試合を見ようと4万5,000人以上の観客が詰めかけたという。
NBA認定(後のWBA)世界フライ級選手権試合(タイトルマッチ)。

第16代NBA世界フライ級王者ダド・マリノ(アメリカ)対白井義男(日本)の試合は判定でマリノを退け、見事に白井義男選手が王座を獲得した。
翌日の新聞には“日本の希望の星”や“希望の光”と称えられ紙面を賑わせ白井義男は一躍日本の国民的ヒーローとなり人々に勇気と希望を与えた。

今年で半世紀以上の58年前に日本に初めて世界王者白井義男が誕生した5月19日を「ボクシングの日」と讃え、ボクシング界独自で定めた。ただ残念なのは、何故ボクシング一筋で生き抜いた白井義男氏の生前にボクシング界は制定して掲げてあげられなかったのか、疑問も残るのだが・・・この日は併せて「プロボクシング世界チャンピオン会」も発足されて初代会長にガッツ石松氏が務めることもリング上で発表された。
毎年この日は何らかのイベントを企画し新たなボクシングファン獲得と人気拡大の為に開催する予定だと言う。

…2010年5月19日はあいにくの雨模様。
微力ながら、私はジムに関わっているジム会長から入場券を貰って代表して見に行くことになった。イベントのある後楽園ホールへは5時20分頃に到着する。
無料イベントとは言え、観客はまばらで一般社会にはボクシングへの関心は少ないのだろうと心配する始末。
何しろ約40人の現役、元世界王者が集結すると聞いていたからだ。

しかし、7時を過ぎる頃になるとエアボクシングやトークショー、エキシビションが始まって、何処からともなく観客が集まりだして、いつの間にかほぼ満席状態となっていた。開催側スタッフも胸を撫で下ろしたに違いない。

そして、4回戦の公式試合が終わってチャリティーオークションが始まりサイン色紙やグローブが競りに掛けられる。競りの司会を元WBA世界L・フライ級王者の渡嘉敷勝男氏が進行役でジョークを交えて笑いを誘う。

圧巻は39人(女子3人含む)の現役、元世界王者がカクテルライトに照らされて一人一人リングアナの紹介で登場して来る。

…最初に日本プロボクシング界の戦後創世期に「ハンマーパンチ」の異名で活躍して絶大な人気を誇ったWBA、WBC両世界S・ライト級王者藤 猛氏やWBA、WBC世界S・フェザー級両王者の小林弘氏が登場すると歓声が沸く。
滅多にお目にかかれない元世界王者である。

そして、元WBC世界バンタム級王者の薬師寺保栄氏が登場すると、1994年12月4日の辰吉丈一郎選手との大死闘を演じたあの日を思い出す。

ガッツ石松、大熊正二、具志堅用高、渡嘉敷勝男、浜田剛史、井岡弘樹、大橋秀行、畑山隆則、徳山昌守、川島勝重〜錚錚たる顔ぶれが次から次へと・・・

極め付けは、最近ボクシング界のみならず(父親の暴言問題)で世間を騒がせた亀田三兄弟の元WBC世界フライ級王者の亀田興毅選手と現WBA世界フライ級王者の亀田大毅選手が登場。次に兄弟と因縁対決した元WBC世界フライ級王者の内藤大助選手が登場するとホールは大歓声に包まれた。亀田兄弟、内藤選手の人気は衰えずと言ったところ。

そして、最後に衝撃的KOで初防衛を果たしたばかりのWBA世界S・フェザー級王者の内山高志選手が登場して更に大歓声が沸き返りイベントを盛り上げた。
おそらく、これだけの現役、元世界王者が集い集結したのは後にも先にも初めてだろうし、もうこれから先には実現しないだろう。
来場した若者、年輩者、人それぞれにチャンピオンを見てその時代を振り返りノスタルジックに浸っていたに違いない。

〜来年はどんなイベントになるか楽しみである。

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2010年5月19日 (水)

《目の覚める右フック一撃!内山高志選手完勝!》5月17日/さいたまコミュニティアリーナ [No.166]

《右フック一撃!内山完勝!》5月17日/さいたまコミュニティアリーナ
《右フック一撃!内山完勝!》5月17日/さいたまコミュニティアリーナ
《右フック一撃!内山完勝!》5月17日/さいたまコミュニティアリーナ
《右フック一撃!内山完勝!》5月17日/さいたまコミュニティアリーナ
《WBA世界S・フェザー級タイトルマッチ12回戦》

王者/内山高志(ワタナベ)
=VS= 同級13位/アンヘル・グラナドス(ベネズエラ)

…両選手リングに登場すると身長差で約13cm、リーチ差の12cmは歴然。

初回…左ジャブの出し合い。序盤、内山の右ボディーが身長差の違いでローブロー気味の場面も距離を詰めて左右ボディー、右ブローが決まりラウンド序盤から内山が有利な展開に。

〈2回〜4回〉3回には内山の強烈な右フックでグラナドスが一瞬腰を落とす。その後も左ジャブからボディー攻撃で完全に試合の流れを掌握。右ストレートも有効打。
5回…内山の右フックヒット。しかし、明らかに劣勢と見たグラナドスは体勢を崩しながらも右アッパー左右フックと繰り出す。中盤から終盤にかけても左ジャブ右ストレートと必死に盛り返しを試みる。このラウンドはややグラナドス。

6回…グラナドスは盛り返すと見られたが内山の左ジャブから右フックの強打を警戒して詰められず。
〜1分30秒過ぎ内山の左ジャブから強烈な右フックでグラナドスは前のめりにロープに頭を打ち付け“ダウン”
グラナドスは起き上がると左手で左膝を支えて中腰状態。
レフェリーのアバインザ(フィリピン)のカウント8で“カモーン”〜“カモーン”の呼び掛けに右手でロープを頼りに立ち上がったが、ファイティングポーズを取れずに試合を止められた。

目の覚める会心の一撃、右フックで倒した内山選手は正に異名通りの「KO′ダイナマイト」に相応しい演出をした。

【両選手の戦績】

内山高志
15戦15勝(12KO)無敗

アンヘル・グラナドス
27戦18勝(8KO)9敗

内山高志選手の次戦は暫定王者のホルヘ・ソリス選手(メキシコ)との統一戦が有力。
試合は9月に予定されている。
そして、ソリスとの試合をクリアした場合には、
その他にも対戦相手が2人浮上している。
☆元王者のホルヘ・リナレス(ベネズエラ)

☆島田雄大(ヨネクラ)
※島田選手は38歳で(JBC規定37歳定年制度)の規定に掛かっているが元日本ライト級王者で現WBA世界ライト級13位の位置にいるため特例として認められている。

統一戦が先か後かはまだ決定していないが何れにしても、またワクワクする試合になりそうだ。


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2010年5月16日 (日)

《フィリピンの英雄!マニー・パッキャオ2度目の立候補で晴れて下院議員選挙に初当選!》5月11日各紙発表 [No.165]

《フィリピンの英雄!マニー・パッキャオ二度目の立候補で晴れて下院議員選挙当選!》5月11日各紙発表 [No.165]
《フィリピンの英雄!マニー・パッキャオ二度目の立候補で晴れて下院議員選挙当選!》5月11日各紙発表 [No.165]
《フィリピンの英雄!マニー・パッキャオ二度目の立候補で晴れて下院議員選挙当選!》5月11日各紙発表 [No.165]
《フィリピンの英雄!マニー・パッキャオ二度目の立候補で晴れて下院議員選挙当選!》5月11日各紙発表 [No.165]
《フィリピンの英雄!マニー・パッキャオ二度目の立候補で晴れて下院議員選挙当選!》5月11日各紙発表 [No.165]
…プロボクサーでアジア人初の5階級制覇者でフィリピンの国民的英雄マニー・パッキャオ(31)が下院議員選挙で二度目の立候補で晴れて初当選した。

パッキャオは2007年にも故郷南部ミンダナオ島コタバト州から立候補したが、この時は落選している。

フィリピンは上院、下院の両院制議会制度。
フィリピンの国会議員の上院は「国民の代表」として政府に公約としての政策対応を担う。
下院は(日本の参議院にあたる)「州民及び地域民、国民の代表」として公約としての政策を担う。

今回、パッキャオが故郷南部ミンダナオ島の南コタバト州から、くら替えして立候補したミンダナオ島サランガニ州はフィリピンでは最も貧困率(貧困家庭の割合45%)の高い州と言われている。
パッキャオの公約は「教育、医療、福祉の充実」を掲げた。
パッキャオのコメント:「政府の援助を必要としている国民が数え切れないほど放置されている現状を変えたい!」と語った。

フィリピンは日本とは比べものにならない程、議員になるのは大役であり命懸けである。
これまでに公約を掲げて議員に当選したものの失敗政策で暗殺された議員も少なくない。
ある程度の公約を達成しても、国会の質問などで失言したりすると、反発を買い即座に議員失格の烙印にさらされると言う。そして、フィリピンの政治には必ず宗教的問題が絡む。アジアでも唯一のキリスト教国家(国民の約90%以上)ではあるが、少数派(国民の約5%)のイスラム教との争いが絶えない。イスラム教徒は独自の軍隊MNLF(モロ民族解放戦線)と一部の幹部同志の思想の食い違いで反発乖離したMILF(モロ・イスラム解放戦線)があり、フィリピン国家自体がこの軍隊の存在で一筋縄ではいかない現状がある。今は休戦状態だが20年位前まで政治家(イスラム教反体派論者)が拉致され殺害されることが日常茶飯事だった。フィリピンで政治家になるには、それこそ身の危険にさらされる覚悟が必要で、並大抵では出来ない。因みにパッキャオはキリスト教のカトリック信者であるが、ミンダナオ島の約30%はイスラム教徒が占める為に、選挙の度に支持者同士のトラブルが絶えないと言われている。

しかし、それとは裏腹にフィリピンの国民性は隣の他人でも助け合う精神を忘れない。
パッキャオが政治家を目指したのは幼少時代に、その日の食事にも事欠く生活があって、近隣にも随分と助けてもらったと語り、その人達の為にも恩返しがしたい。そして、その両親の貧困に苦しむ姿を直に見て来ていた為に、十代の頃から政治家になって貧困社会を無くすことを人一倍思い描いていたと言う。

パッキャオはアメリカを本拠地として一試合に数十億も稼ぐスーパースターである。
コマーシャルでもアメリカと母国フィリピンで十数社(スポーツ関連、衣料関連、食品飲料関連、機械関連)と契約して、こちらでも数十億を稼いでいるとされる。

しかし、パッキャオは稼いだお金で孤児院に寄付したり、資金難の学校へ寄付をしたりしている。前回の選挙でも語っていた…「ボクサーであってもフィリピンの国から貧困を無くしたいと言う思いは片時も僕の気持ちから消えたことがない!
これは神から与えられた僕への使命であり運命なのだ!」と・・・
ボクシングも命懸けなら、政治へも命懸けで臨む。
パッキャオは政治家としても成功して欲しいものだ。
今後の活躍に期待したい。

〜どこかの国のタレント議員とは取り組み方が違うわけで、月とスッポンである!


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2010年1月28日 (木)

特別編!《第21回オリンピック冬季競技大会(2010年/バンクーバー)》 頑張れ!ニッポン 応援ブログ!

    …特別編…    《第21回オリンピック冬季競技大会(2010年/バンクーバー)》                                    頑張れ!ニッポン                         応援ブログ!
    …特別編…    《第21回オリンピック冬季競技大会(2010年/バンクーバー)》                                    頑張れ!ニッポン                         応援ブログ!
    …特別編…    《第21回オリンピック冬季競技大会(2010年/バンクーバー)》                                    頑張れ!ニッポン                         応援ブログ!
    …特別編…    《第21回オリンピック冬季競技大会(2010年/バンクーバー)》                                    頑張れ!ニッポン                         応援ブログ!
    …特別編…    《第21回オリンピック冬季競技大会(2010年/バンクーバー)》                                    頑張れ!ニッポン                         応援ブログ!
    …特別編…    《第21回オリンピック冬季競技大会(2010年/バンクーバー)》                                    頑張れ!ニッポン                         応援ブログ!
…この不況の真っ只中、人々の生活も活気がない!
せめて、オリンピックの選手達で元気と勇気と感動で日本に活気を取り戻させてくれ!

〜たのむよ選手諸君!!!

〜頑張れ 頑張れ

〜ニーッポン!


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2010年1月23日 (土)

…映画『ロッキー』の題材となった伝説の世界王者!ロッキー・マルシアーノの写真館!…〜最終回

☆映画『ロッキー』の題材となった伝説の世界王者!ロッキー・マルシアーノの写真集!/〜最終章
☆映画『ロッキー』の題材となった伝説の世界王者!ロッキー・マルシアーノの写真集!/〜最終章
☆映画『ロッキー』の題材となった伝説の世界王者!ロッキー・マルシアーノの写真集!/〜最終章
☆映画『ロッキー』の題材となった伝説の世界王者!ロッキー・マルシアーノの写真集!/〜最終章
☆映画『ロッキー』の題材となった伝説の世界王者!ロッキー・マルシアーノの写真集!/〜最終章
☆映画『ロッキー』の題材となった伝説の世界王者!ロッキー・マルシアーノの写真集!/〜最終章
☆映画『ロッキー』の題材となった伝説の世界王者!ロッキー・マルシアーノの写真集!/〜最終章
☆映画『ロッキー』の題材となった伝説の世界王者!ロッキー・マルシアーノの写真集!/〜最終章
《ロッキー・マルシアーノ》
【本名】ロッコ・フランシス・マルケジャーノ(イタリア系米国人)

【ニックネーム】ブロックトン・ブロックバスター(ブロックトンの高性能爆弾)

【誕生日】1923年9月1日

【出身地】米国マサチューセッツ州ブロックトン

【階級】ヘビー級

【スタイル】オーソドックス/ボクサーファイター

【プロ戦績】49戦49勝(43KO)無敗※(50戦と記載される場合もあるが、エキシビションの1試合を含めてのもの)
【アマチュア戦績】33戦30勝3敗(全米ゴールデングローブ=オリンピック代表選出試合)出場も予選敗退
【獲得タイトル】第19代NBA(後のWBA)世界ヘビー級王者

【王座在位期間】1952年9月23日〜1956年4月27日(引退)※最後の試合は1955年9月21日

【防衛回数】6回

【身長/体重】180cm/83kg

【死没日】1969年8月31日(享年45才)
…移動中の小型飛行機墜落事故の為、死亡。催し事のあと、翌日が46歳の誕生日で家族や友人の待つ帰路での突然の事故死に、世界中のボクシングファンが悔やんだ。

【死没地】米国アイオワ州ジャスパー郡ニュートン

★デビュー戦は1947年3月17日、リー・エファーソンに3回KO勝ち。
★最後の試合は1955年9月21日、名選手アーチー・ムーアとの対戦でヤンキー・スタジアムに61,574人もの大観衆を集めて行われた。ムーアからダウンを奪われたがマルシアーノが逆転して9回1分19秒のKO勝ちだった。この試合はボクシング史上最も激闘を演じたことで名勝負に数えられている。そして、これが最後の試合となった。

★名セリフ:「もう、戦う相手は誰もいなくなった…」はあまりにも有名である。
そして、ヘビー級では最も小さかった体で数々の名勝負を展開したロッキー・マルシアーノは名セリフを遺して無敗で王者のまま1956年4月27日に引退した。
世界中のボクシングファンには、数々の試合で逆転に次ぐ逆転の戦いぶりと、その偉業に、今でも名前の上がる名王者である。

‥‥‥‥‥‥‥ 完

【Rocky Marciano Wikipedia&Official site 参照】

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…映画『ロッキー』の題材となった伝説の世界王者!ロッキー・マルシアーノの写真館!…〜其の3

☆映画『ロッキー』の題材となった伝説の世界王者!ロッキー・マルシアーノ/Rocky Marciano(1923〜1969)の写真集☆〜其の3
☆映画『ロッキー』の題材となった伝説の世界王者!ロッキー・マルシアーノ/Rocky Marciano(1923〜1969)の写真集☆〜其の3
☆映画『ロッキー』の題材となった伝説の世界王者!ロッキー・マルシアーノ/Rocky Marciano(1923〜1969)の写真集☆〜其の3
☆映画『ロッキー』の題材となった伝説の世界王者!ロッキー・マルシアーノ/Rocky Marciano(1923〜1969)の写真集☆〜其の3
☆映画『ロッキー』の題材となった伝説の世界王者!ロッキー・マルシアーノ/Rocky Marciano(1923〜1969)の写真集☆〜其の3
☆映画『ロッキー』の題材となった伝説の世界王者!ロッキー・マルシアーノ/Rocky Marciano(1923〜1969)の写真集☆〜其の3
☆映画『ロッキー』の題材となった伝説の世界王者!ロッキー・マルシアーノ/Rocky Marciano(1923〜1969)の写真集☆〜其の3
☆映画『ロッキー』の題材となった伝説の世界王者!ロッキー・マルシアーノ/Rocky Marciano(1923〜1969)の写真集☆〜其の3
☆映画『ロッキー』の題材となった伝説の世界王者!ロッキー・マルシアーノ/Rocky Marciano(1923〜1969)の写真集☆〜其の3
…ロッキー・マルシアーノは1950年代、当時でもヘビー級では180cmで83kgと体は小さく練習量でハンディを克服した。

そして、写真にもあるように幼い頃から野球が大好きで大リーガーへの夢も抱いていた。
マルシアーノの経歴にも記されているが、第二次大戦終戦後の22才頃には大リーグのシカゴ・カブスのトライアウトに参加して、もう一歩のところまで行ったが体調不良のまま挑んだ為に、落ちてしまったと記されている。もし受かっていれば大リーガーとして活躍していたかも知れない。

―――其の4【最終版】に続く

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…映画『ロッキー』の題材となった伝説の世界王者!ロッキー・マルシアーノの写真館!…〜其の2

☆映画『ロッキー』の題材となった伝説の世界王者!ロッキー・マルシアーノ/Rocky Marciano(1923〜1969)の写真集☆〜其の2
☆映画『ロッキー』の題材となった伝説の世界王者!ロッキー・マルシアーノ/Rocky Marciano(1923〜1969)の写真集☆〜其の2
☆映画『ロッキー』の題材となった伝説の世界王者!ロッキー・マルシアーノ/Rocky Marciano(1923〜1969)の写真集☆〜其の2
☆映画『ロッキー』の題材となった伝説の世界王者!ロッキー・マルシアーノ/Rocky Marciano(1923〜1969)の写真集☆〜其の2
☆映画『ロッキー』の題材となった伝説の世界王者!ロッキー・マルシアーノ/Rocky Marciano(1923〜1969)の写真集☆〜其の2

…ロッキー・マルシアーノの写真(其の1を含む)を見て気付きましたか?マルシアーノは人と話す時も、写真を撮られる時も、何時も笑顔を絶やさない男でした。厳つい顔に似合わず、たまには皆の前で冗談を言ったり、おどけて人を笑わせてみたりと茶目っ気もあったようです。

そして、ボクサーと思えないほど涙もろい優しい男でもありました。

数多いKO勝ちの中で、ある試合の対戦相手が病院送りになった時、今にも泣きそうな顔をして心配になり病院へ飛んでいったこともありました。
彼がクリスチャンだったことも影響しているのかも知れません。

後に、父親の様に慕っていた専任トレーナーだった「チャーリー・ゴールドマン」が全てを語っています。

―――其の3に続く

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